黒地に際立つ白い「h」…年間売上100億円、誰もが憧れた「平成の伝説」 大ヒットブランド「djhonda」誕生の裏側と現在
「a」といえばamazon。「C」といえば広島カープ。そして「M」といえばマクドナルド? それともモスバーガーか。有名なロゴマークの話である。日本でもっとも有名な「h」のアルファベットは……そう、djhondaだ。 【写真】「大量に作れば、ニセモノを作る理由がなくなる」とビジネス論を展開…こちらが「h」の仕掛け人です
平成の伝説「djhonda」ブランドはなぜ生まれた?
1990年代から2000年代のはじめ。黒地に白く「h」が刺繍されたキャップをあらゆる世代の日本人が被っていた。そのロゴが有名ヒップホップDJ「djhonda」氏のものだと知らない人も一定数いた。 「ホンダさんは、それで少しでも自分の音楽を知ってくれる人がいればいいじゃん、と笑っていました」 djhondaブランドを企画販売する株式会社サウスアンドウエストの竹平克巳社長は言う。アパレルショップだけでなく、大型スーパーでも売っていた「h」のアイテム。バッグ、財布、ノベルティでタバコまで作られ、出回っていた。全盛期の売上は、看板商品のキャップだけで年間およそ30万個、全商品でのトータル市場売上100億円。平成の伝説である。 しかし竹平社長は、当時ヒップホップを何も知らなかったという。
イチローのニュースで見た「h」
djhonda氏は90年に単身アメリカに渡り、92年に現地のDJコンテストで準優勝、ソニーミュージックからデビュー。ほぼ最初といえる日本人DJの成功者だ。いまも旺盛に楽曲を発表し若い世代のアーティストとの合作が絶えないレジェンド。 一方でサウスアンドウエストはライセンスビジネスの会社だ。アーティストやキャラクターと契約し、商品を作り、流通させる。なぜdjhondaと契約しようと考えたのか。 当時は1990年代半ば。 「当時、アパレル界にいままでにない業態が生まれていました。国道沿いなどのロードサイドにある、大型のアパレルのセレクトショップです。きっとこの業態は人々のライフスタイルを変える。その売り場に並べる商品を開発していました」 ライトオンやジーンズメイト。ユニクロもこうしたロードサイド店から始まった。店舗が増えれば売上も増えるだろう。広い店内で目立ち、勝てるブランドが欲しい……竹平社長はニュース番組で偶然「それ」を見つける。 国内ではすでに大スターだったイチロー選手。 「イチローが被っていた黒いキャップに『h』のロゴがついていました。人気のDJのグッズだというんですね。とてもシンプルで強いロゴでした」 「h」。これかもしれない。すぐに所属レーベルであるソニーに連絡をとった。