大富豪が望んだ「ショートテール」 ベントレー・コンチネンタル S2(1) 長すぎる全長に疑問?
複数のベントレーへ独自ボディを作らせた
そのマクロードは、複数のベントレーへ独自のボディを作らせた。その最初の1台が、ショートテールの2ドアサルーン。彼自身がデザインしたといわれている。 シャシー番号はB177AEで、ラインオフしたのは1934年。当初は、ベントレー 3 1/2用シャシーに、コーチビルダーのHJマリナー社による4ドアボディが架装されていた。ルーカス社製ヘッドライトと、艶の深い塗装に通常のフェンダーラインが特徴だった。 しかし、マクロードの2ドアサルーンでは、マーシャル社製のヘッドライトが低い位置に組まれ、32ガロン(約145L)のガソリンタンクを搭載。広い視界は、彼のこだわりだった。細いフロントピラーで、ワイドなフロントガラスが挟まれている。 大抵1人で長距離旅行を楽しんだマクロードは、荷物はリアシートに載せることが多かった。ボディ後方の大きな荷室は、必要ないと考えていた。 当初のボディカラーは、軍隊が用いるような迷彩色のダークグリーン。車重は1575kgあり、最高速度は156km/hに届いたらしい。燃費は、彼の説明では6.4km/Lだったとか。
航空機や工具の製造で財を成したマクロード
その後ショートテール化されたボディは、オーバードライブ付きの4 1/4リッター用シャシー、番号B142MRへ積まれた。H1が振られたナンバープレートは、その時所有していたウーズレーから外して登録し直したようだ。 だが第二次大戦が始まると、このベントレーは売却される。ガソリンは配給制になり、燃費の良いランチア・アプリリアとシトロエン・ライト15へ乗り換えたらしい。 4 1/4リッターのシャシーと2ドアサルーンのボディは、南米のアルゼンチンへ輸出。ブラックとホワイトのツートーンに塗装され、1950年代は彼の地のモータースポーツで活躍している。 航空機や工具の製造で財を成していたマクロードは、戦後初のベントレー・シャシーを、先行して注文していたことは間違いない。1946年にはMk VIが納車され、直後にHJマリナー社へ2ドアボディの製造を依頼している。 塗装は、シトロエン・トラクシオンに影響を受けたと思しき、ブラックとシルバーのツートーン。戦前のデザインへ似せたフロントガラスや、リベットが打たれたボンネット、右側に付いたシフトレバーをかわす切り込みなどが特徴だった。 このベントレーは、1963年5月に625ポンドで転売。車重は1500kg以下といわれ、現在も実働状態にある。1980年代半ばに90歳代を迎えたマクロードは、その頃のオーナーと対面し、意見を交わしたという。 この続きは、ベントレー・コンチネンタル S2(2)にて。
マーティン・バックリー(執筆) マックス・エドレストン(撮影) 中嶋健治(翻訳)