【不定期対談】天竺鼠の川原と。クリープハイプ・尾崎世界観 「お笑いと音楽。ふたりが思い描く"理想の表現"とは?」(後編)
■芸人にあって、ミュージシャンにないもの 尾崎 ミュージシャンとの違いを考えた時、芸人さんのほうが圧倒的に優しいと感じますね。すごく気を遣ってくれるし、接しやすいです。 川原 空気を読んだら自分がこのフレーズを残せるとか、誰かがこんなことをしてるからこれをやろうとか、売れるためには周りをよく見なあかんとされてるよね。だから、人としての距離感が上手な人も多いし、優しいんやろうね。 尾崎 テレビでもライブでも、芸人さんのほうが皆で一緒になる機会が多そうですよね。ミュージシャンは基本的に同じステージでやることがないので、それもあるのかもしれません。 川原 確かにそうね。誰かとしゃべらなくても成立して盛り上がるから、そのへんで違いは出てくるのかもね。 でも、俺はそっち側のような気もする。舞台でネタやって、はい終わり、みたいな。ライブのコーナーとかでも、空気を崩すとかではないけど、空気関係なく、「これをこのタイミングでやりたい」を優先させることが多いんよな。 例えば、昔、千鳥さんがトップだった頃の劇場で、ボス的な存在の大悟さんが俺に話を振ってくれた時、俺はまだ無名やったけど、「誰が誰に振ってんねん!」って大悟さんの頭叩いてみたんよ。舞台上はピリッとなったんやけど、俺の中で「あの人を叩いたらおもろいやろな......」が勝ったんよね。 尾崎 そのあとどうなったんですか? 川原 「うわ......」って雰囲気のあと、大悟さんもノブさんもおもしろがってお笑いに変えてくれて、たぶん、もう一回叩いたと思う。 尾崎 芸人さんの場合は「おもしろいかどうか」という明確なゴールがあるように思いますが、ミュージシャンはそこが曖昧なので難しいところがあります。本当は、涙を流している人よりも、無表情の人のほうが感動しているかもしれない。
■ふたりが思う理想の表現 川原 それで言うと......ひとつ試してほしいことがあるんやけど、例えば、「パンツ」という言葉だけでバラードを作ってみてほしいのよね。パンツがどうのこうのってストーリーじゃなくて、歌詞がパンツだけの曲。 これで泣いてる人とかがいたりしたら、それこそ世界観くんの「どう思わせたらいいんだろう」っていう曖昧な部分がより深くなるかもしれないけど。周りが「どう思ったらいいんだろう」ってなる曲を作ってもらいたいなぁ。 尾崎 実は最近、「歌詞の意味をわざとなくす」というのをやり始めてるんです。言葉じゃない何かをサビで使ったりしていて。今までずっとこだわって歌詞を書いてきたので、そういう人があえて〝書かない〟のは意味があると思ったんです。 川原 うわぁ~、いいなあ。そういうの好きだわぁ、すごい。そこに行き着くってことは、やっぱりなんか......〝ちゃんと変〟なのよ。自分が何を目指してるかわかってる人だから。 尾崎 やっぱり飽きてくるんですよね。限られた言葉しか使えないというか、自由ではあるけれど、音楽になるというのを考えると、だいたいの型が決まってきてしまう。そういうところから離れるというか、言葉を捨てていくというか。 川原 確かにね。まさになんやけど、俺は今度撮る映画で、この世にない言葉でシビアなシーンを撮ろうかなと思ってたんよ。緊迫した感じの中で「......そじな」みたいな。言葉って枠はどうしてもあるけど、意味のわからない言葉で何が伝わるかって。 尾崎 伝わらないのはもちろんすごく悔しいし、もどかしいんですけど、〝伝わっちゃう〟ということにもその感情があります。うれしいんだけど、ちょっと伝わりすぎたなって。 これはすごくわがままなことなんですが。自分が作ったときの苦労と、それが伝わるまでの速度にズレを感じる。でも、それも言葉があるからこそなんですよね。