鈴木誠也18歳、父から銭湯で「広島の人間になれ」東京下町育ちの少年はなぜカープで愛された?「初優勝後に鳴った深夜2時の電話」
鈴木誠也の原点に迫ったルポ『鈴木誠也が“神る”まで。』の第2回(初出:Sports Graphic Number911号/2016年9月23日売)。東京・町屋で育った少年がプロ野球選手として歩みを始めた地は、どこか故郷を思わせる広島の街だった。 ※肩書きや年齢などはすべて初出時のまま 【貴重写真】「眉毛薄っ!」“荒川のやんちゃ坊主”だった頃の鈴木誠也…最強世代と呼ばれた中学時代から黒田さんにビールかけたカープ隆盛期、ドジャース大谷翔平と談笑するMLBセイヤまで一気に見る(40枚超) 2012年10月。鈴木誠也はドラフト2位で広島東洋カープに指名される。 「すぐに電話が掛かって来て『2位だよ2位、ヤベエよ、これから野村(謙二郎)監督と会うんだけどどうすりゃいいんだよ』って。僕らは指名確実だと思っていたけど本人だけは、指名されないと思っていたみたいで(笑)」(荒川シニア時代のチームメイト・松村健さん)
「誠也、おまえは広島の人間になれ」
子供の頃から夢に見たプロ野球。その舞台となる広島の地にはじめて降りた際、誠也は「町屋に似ている」という感慨を得た。 町の中心には路面電車が走り、いくつもの川が流れている。街の規模こそ違うものの、人情に溢れ野球が好きな人たちがいる。入団会見のため家族で広島を訪れた夜、誠也は父と共に近くの銭湯に出かけた。湯船で肩を並べていると、潜水してきた小さな子供が2人の間から突然顔を出した。 「お兄ちゃん、遊んでよ」 突然の出来事に「東京でこんなことする子供はいないよ」と誠也は泡を食ったが、いつの間にか子供たちと一緒に遊んでいた。 そんな誠也に、父はこんな言葉を伝えた。 「誠也、おまえは広島の人間になれ」 プロ入り直後の日南キャンプ。オープン戦で誠也は外角ギリギリの球をストライクと判定されると、1年目とは思えぬ鋭い眼光を審判にくれた。 “凡退すると人を殺すような目になる” あるコーチがそんな証言をするほど、誠也は1打席の凡退に尋常ではない悔しがり方をした。1年目でも二軍戦でも関係ない。「俺には時間がない」「1打席1打席が勝負」。誠也は貪欲に結果を追い求めた。灯りの消えた室内練習場ではいつまでも誠也のバットを振る音が響く。広島でプロになった誠也にはそれだけの覚悟があった。
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