日本初の民間銀行の土台となった三井大坂両替店。奉公人は10歳住み込みで働き、勤続30年で店外の自宅をもてるように。年功序列の階級と待遇の実態とは
◆奉公人たちの食生活 大坂両替店の食生活についても確認しておく。宝暦2年(1752)2月、両替店の元〆たちが定めた掟書によると、朝夕の食事は一汁一菜であり、毎月1日と15日には必ず生魚が提供された。生魚はこの日だけに限定したわけではなく、魚が安価なときや暑寒が厳しいときには、生魚を提供すべきことが記されている。 毎月1日と15日は月例集会の日でもあり、この集会の場では飲酒が許されたようだ。このほか、正月の三が日と15日、大晦日、五節句の日には一汁二菜、神事や祭事などの日には一汁三菜、酒三献、吸い物などが提供された。 大坂両替店は半季ごとに「賄方入目目録(まかないかたいりめもくろく)」という帳面を作成しており、これには生活必需品の購入費や奉公人への給料が記録されている。 安政3年12月時点の「賄方入目目録」によると、白米一九石(こく)一斗(と)四升(しょう)(一石が約180.39リットルで、約3453リットルに相当)が購入されていた。1日に三合(ごう)九勺(しゃく)一才(さい)余(飯茶碗6.6杯)を食べる計算で、奉公人の数よりもやや多めの30人分が計上されている。 このほかにも、大豆、麹、醤油、酒、酢、塩、魚、青物もの(野菜)などが購入されており、店内では、大豆と麹から味噌が作られていたようだ。実際、前掲図13には「塩味噌部屋」がみえる。購入額は、白米、魚、青物の順に多かった。 1日に飯茶碗6.6杯というのは、江戸時代では平均的な摂取量である。しかし、醤油や味噌、塩が用いられ、新鮮な魚や青物が並ぶ食事は、当時としては悪くない水準の食生活であったはずだ。当然、これら生活費は大坂両替店が負担した。 ※本稿は、『三井大坂両替店――銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(中公新書)の一部を再編集したものです
萬代悠