【日本文化の根本に流れる茶道とつながる萩焼】源泉湧き出す山口県長門湯本温泉で楽しむ伝統陶芸品
山口県長門湯本温泉。私は2016年に、まちづくりに関わったことから、通うようになりました。そして、最も信頼するパートナーとなったのが、大谷山荘の大谷和弘さん(44歳)です。1881(明治14)年創業の老舗温泉旅館の5代目です。長門湯本温泉の発祥の地に建っていたのが公衆浴場「恩湯」でした。恩湯は老朽化が進み、誰にも見向きもされないような状態になっていましたが、大谷さんたちが「民設民営」で復活させました。 【写真】「cafe & pottery音」で展示、販売されていた萩焼 「恩湯は曹洞宗大寧寺三世の定庵禅師が長門国一宮の住吉大明神からのお告げによって発見した〝神授の湯〟と伝えられる山口県で最も古い歴史を持つ寺湯です。僧侶が神社の神様のお告げを受けるというのは、興味深いですよね。これは、当時この地域の守護大名の大内氏が、アジア圏との貿易ラインを画定するため、日本海側は曹洞宗、瀬戸内海側は住吉神社との連携を図るという、神仏の融合的なエリア統治の構想イメージが遡及された物語とも言われています。恩湯の再建工事をして驚いたのは、源泉が岩から元気に湧き出ていることでした。今や掘削して出している温泉が多い中で、日本でも貴重な場所だと言えます」(大谷さん) 風呂上がりに、空き家を改装した「サンロクロクビール」で製造されるペールエールを飲むのも最高です。 そんな長門湯本温泉を訪れて、お土産にしてほしいのが「萩焼」です。朝鮮半島から「三本の矢」で知られる毛利家に伝わった技術が、関ヶ原の合戦以降、萩で発展したものだとされています。その萩焼の伝統を今に引き継いでいるうちの一人が十六代坂倉新兵衛・坂倉正紘さん(40歳)です。
「萩焼は元々、茶道具を作るために始まったものです。茶道は、千利休で知られるように安土桃山時代に隆盛しました。萩焼はその後、江戸時代後期に衰退していき、危機を迎えたのが明治維新の時で、危機感を持った私の曾祖父である十二代新兵衛は京都に行き茶人として修養を重ね、それを陶芸に生かして、萩焼の命脈を保つことができました。茶道や茶の文化は、日本の文化の根本となっていると思います。例えば、懐石料理も茶懐石から始まったものです」(坂倉さん)