「野球やるべ」津波に遭った岩手・大槌高校でただ1人の野球部員、同級生に支えられ最後の大会で全力プレー
▽先輩が引退し「野球がつまらなくなった」 東日本大震災当時、田口さんは5歳で、当時のことは「ほとんど記憶にない」という。入学予定の小学校は津波で被災し、町内五つの小中学校合同の仮設校舎で学んだ。野球は地元の仲間と小学3年で始め、中学でも野球部に入った。当時も連合チームだったが人数はそれなりにいたため「練習も厳しく、勝ち負けにこだわっていた」と振り返る。 大槌高に進学し、1年生で野球部に入ったのは自分一人。1学年上の2年生は3人いた。1チームをつくるには足りないが、練習はいつも「愉快な先輩たちで盛り上がった」という。大会には別の高校と連合チームを組んで出場してきた。 そして昨夏の県大会が終わると先輩が引退し、1人だけになった。菊池顧問と1対1でトス打撃やノックを繰り返す日々。「先生は温かく見守ってくれたが、仲間と声をかけ合うことがなくなり、野球がつまらなくなった」。むなしさが募り、昨年12月ごろからは授業が終わると練習をせずに帰宅するようになる。「絶対にやめてやる」と思ったという。
▽グラウンドに集まってくれた同級生 ところが春になり、うわさを聞きつけた先輩たちから野球を続けるよう強く引き留められる。休日に誘われた草野球で「最後までやりきったほうがいい」と説得された。「先輩がそこまで言うなら」と半ば流されるように3月ごろから復帰し、また一人で練習を再開した。 すると大きな変化があった。部活動を引退するなどした同級生たち数人が、いきなり「野球やるべ」とグラウンドに来てくれた。遠藤大地さん(17)は「田口が寂しそうに練習している姿を見て、楽しく野球してほしいなと思って」との気持ちだったという。他の部活からもどんどん加わり、夏の大会前には毎日、10人ほどの生徒が顔を出すようになった。 田口さんの打撃練習が終わると、助っ人たちも順番に打席に立つ。菊池教諭が遅めに投げても空振りばかりの生徒もいた。守備練習でも、助っ人は内野で菊地教諭のノックを受けるものの、飛んでくるのは緩めのゴロ。1人だけ強烈な打球が飛んでくる田口さんは「自分だけ速くないすか」と冗談を飛ばした。