8歳の子どもを殺害、博多湾に遺棄…犯人の中国人留学生が語った“身勝手すぎる犯行動機”とは?――平成事件史
2003年6月20日、8歳と11歳の子ども2人を含む一家4人が殺害され、博多湾に遺棄されるという凄惨な事件が発生。その後、犯人として3人の中国人留学生(王亮、楊寧、魏巍)が逮捕された。 【画像】一家四人を殺害…中国人留学生が両親に送った手紙 なぜ、彼らは凶悪犯罪に手を染めたのか? ノンフィクションライターの小野一光氏が検証する。 ◆◆◆
大金を稼いで帰国したい
王と楊はともに吉林省長春市出身。2歳年上の楊は00年に来日しており、福岡市内の日本語学校を経て、北九州市の私立大学に通っていた。そんな折、中国に住む王と楊の母親が、01年に近所での朝の水泳で知り合う。 やがて02年になって王が、楊の通っていた福岡市の日本語学校に入学することになり、先に来ている楊を頼って連絡を入れたことで、日本での付き合いが始まったのである。その経緯は明らかになっていないが、犯行時に王と楊は、福岡市東区にある同じアパートで暮らしていた。 王が日本に来た年の、彼らふたりの生活については、福岡地裁で開かれた魏の一審での、検察側冒頭陳述に以下の記載がある。 〈王亮は、かねてから、方法のいかんを問わず、大金を稼いで帰国したいとの強い願望を抱いていたものであり、平成14年(02年)には、王亮及び楊寧の両名は、生活費等欲しさに、友人の中国人留学生方から現金等を窃取することを繰り返し、同年12月には、楊寧のアルバイト先の飲食店から多額の現金が入った金庫を窃取するなどしていた〉 そんなふたりと魏が出会ったのは03年になってから。魏は03年2月中旬から福岡市中央区にある『A計画』というインターネットカフェに通うようになり、同店の店長で中国人留学生のK(後に住居侵入・強盗罪で有罪判決)という男と知り合う。さらに魏は、同月20日頃にKの紹介で王と知り合い、4月14日頃には、王から紹介されて楊と面識を得ていた。同店について知る中国人留学生は、その内部事情を明かす。
「中国の両親からは、かなりの金額の仕送りを...」
「もともと『A計画』は02年11月にXという中国人が200万円、魏と同じ専門学校に通うZが80万円、そして店長になったKが100万円を出して始めました。中国人を対象にした営業をしており、やって来る客はネットのゲームに興じたり、母国の友人とのメールのやり取りをしていました。ただ、Kは複数の友人から計数百万円のカネを借りたまま店に来なくなり、03年3月には『A計画』を閉めています。そのため4月からは、Xが店名を変えて店を続けていました」 『A計画』を閉めて以降、KはGという中国人の男や、王や楊、魏とともに、カネ目当てでいくつもの犯行計画を練っては実行している。それはKの元アルバイト先の飲食店経営者方での強盗や、楊のアルバイト先の飲食店における窃盗、さらには日本に来たばかりの中国人留学生への強盗などである。 魏がこうした犯行に加わった理由について、彼の一審公判での弁護側による弁論要旨には次のように記されている。 〈被告人(魏)は、平成15年(03年)3月末頃、在留資格の更新申請に必要な在学証明書を専門学校から発行してもらうために授業料を払い込む必要があったが、手元に十分な資金がなかった。しかしながら、それまで中国の両親からは、かなりの金額の仕送りをしてもらっていたため、送金の相談をすることがためらわれ、K(原文実名、以下同)からお金を借りることとなった。そのため被告人は、Kに強く恩義を感じ、その後のKからの頼みを断りにくくなってしまったのである〉 王と楊のふたり、もしくは王とKと魏、さらにはKと魏とGといった具合に、犯行によってメンバーは異なるが、4月中旬に王が魏に楊を紹介したことで、そこからまた新たな犯行が計画されるようになる。 ◆ 本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています。 平成凶悪事件と「その後」 平成15年 福岡一家4人殺人事件篇 第1回 犯人逮捕を喜ぶはずの遺族の周辺から「結末に納得がいかない」との声が…… 第2回 「どこかに依頼した人間が別にいたのでは」という思いは消せない 第3回 本当に3人だけの「カネ目当て」の犯行だったのか? 第4回 〈悔〉と一字だけ書かれた中国の両親への手紙
小野 一光/文藝春秋 電子版オリジナル