【独自特集】妻は臨月、息子は2歳「早く帰ってやりたい」 戦後のイラク復興支援の最中、凶弾に倒れた外交官 命を懸けて取り組んだ平和実現への願いとその軌跡
「世界平和に貢献したい」幼少のころからの高い志 受け継がれる平和への願い
井ノ上書記官は、なぜ、臨月の妻のために帰りたい思いを抱えつつも、イラクに残ったのでしょうか。 これは井ノ上書記官が小学5年生の時に書いた作文です。 (小学5年生の井ノ上正盛さんの作文) 『報道番組「アフリカ・飢餓地帯」をみて 畑の作物も不作で、今まで住んでいた土地をはなれていくようすをみて、僕は言葉で言い表せないほどつらい気持ちでした。飢えに苦しむ人々に、少しでもできることをしていかなくてはいけないと、僕は思いました』 井ノ上書記官は小学生の頃から、高い志を抱いていました。その後進学した熊本大学では国際法を専攻し、論文のテーマは途上国支援でした。 (熊本大学時代の論文より) 『ODAは途上国の経済発展ないし自立を促す主要な手段の1つではあるが、ODAのみによってそれを達成することは出来ない。途上国自身の強い意志と実行努力なくしては、経済の発展・自立はあり得ないのである』 『環境や人権の面で、現地の市民レベルの情報を持っているNGOとの連携を強化する ことは、より現地のニーズにあった細やかな援助を喚起するといった点で欠くことのできないものである。今後、日本の援助をより質の高いものにしていくためには、政府と民間との緊密な情報提携による援助体制を確立していかなければならない』 大学で指導した教師は、「大学で学んだことを外交官として実践した」と話します。
熊本大学時代の恩師 中央大学・北村泰三名誉教授 「日本の経済にとって、エネルギーの輸入先としてアラブの国々は非常に重要であるわけですから、復興支援をやることは日本の国益がかかっているという自覚・自負をもって、奥大使とともに、イラクに行ったのだと思います」 同期の外交官はー
在サウジアラビア日本大使館 河原一貴公使 「世界の平和のために貢献したいという強い信念を持っていたと思います。1996年に一緒に、中東地域各国から若手外交官を招聘(しょうへい)するプログラムに、取り組みました。エジプト、シリア、パレスチナ自治区といったアラブ地域に加えて、イスラエルからも招聘(しょうへい)し、両者の対話を促すことが狙いでした」 井ノ上書記官をイラクに踏みとどまらせたのは、「世界平和に貢献したい」という幼少のころからの理念とともに、現実的に困っている人々を目の前にして「彼らの生活の復興のための道筋をつけたい」という、強い信念からだったのではないでしょうか。