【独自特集】妻は臨月、息子は2歳「早く帰ってやりたい」 戦後のイラク復興支援の最中、凶弾に倒れた外交官 命を懸けて取り組んだ平和実現への願いとその軌跡
5月8日、在イラク日本大使館が再開されると、井ノ上書記官は、今度は戦後復興の支援のため、再びイラクに赴きました。ほぼ同じ時期に奥克彦参事官(当時)もイラクに。2人は夏の気温が50度を超えるイラク中を駆け巡り、医療、教育などをはじめとする経済協力案件の調査などを行いました。
当時イラクで人道支援にあたっていた、国際NGO「ピースウィンズ・ジャパン」の大西代表は、井ノ上書記官と出会った時のことをはっきり覚えています。
NGO「ピースウィンズ・ジャパン」大西健丞代表 「イラクでは4月から5月にかけて砂嵐が発生します。井ノ上氏さんは風呂も3~4日入っていないのでほこりだらけだったので 外交官だけど苦労されているなと思いました。井ノ上さんが最初に出てきたスープをおいしそうに飲んでいたのも印象的で、どうしたのか聞くと、3日ぶりにまともな食事を食べました、と答えたんです。真面目だけども仕事が速いし、柔和で、イラク人とはコミュニケーションを良く取れている方だと思いました。イラクの中で働いている日本人は当時少なかったので同志感覚で、外務省とかNGOではなくて、やれることはお互いにやるという感じでした」 当時、総理補佐官(イラク担当)として、何度もイラクに足を運んでいた故・岡本行夫氏が、著書『砂漠の戦争』の中で、イラクで井ノ上氏と会った時の印象を、こう書いています。 (砂漠の戦争より) 『小柄できゃしゃな感じの井ノ上は、いつも微笑みを絶やさずにいたが、芯が強く度胸がすわっていた。ある時、米軍の兵士たちが本国の家族へなかなか電話できないとガヤガヤやっていた。通りかかった井ノ上は「良かったらこれ使ったら」と、自分の携帯をその見知らぬ兵士たちに差し出した。歓声があがり電話は兵士たちの手から手へと回る。井ノ上はそのままメシを食いに行ってしまった。電話が返ってきたのは1時間後。山のような感謝とともに。「三か月ぶりに家族と話ができました」「恋人の声が聞けました」井ノ上は「良かったですね」と微笑んだ』