古い古い友人の話 ~ジャパンのバンクーバーでのカナダ戦を前に~
2001年、東京大学ラグビー部の創部80周年の式典で、伝説の名手、寺村誠一さんがスピーチに立った。司会者が「このかたはベルリン特派員時代、ヒトラーにインタビューしたことがある」と紹介した。
そして94年前のテストマッチ(日本協会はキャップの対象としている)には語り継がれる逸話がある。日比野弘さんの編著である『日本ラグビー全史』が、出場選手の文章を引いている。要旨はこうだ。
開始早々、WTB鳥羽善次郎(明治大学)が肩を脱臼、退場する。あのころのルールでは交替は認められない。するとブリテイッシュ・コロンビア協会は自チームのWTBをひとり引っ込めた。日本側は「そうしてくれるな」と申し出るも「頑として聞き入れず」。やむなく鈴木秀丸(法政大学)を借り物のスパイクで送り出した。
2年後の1932年1月。こんどは「カナダ代表(ブリテイッシュ・コロンビアが主体)」の名で来日する。花園ラグビー場のテストマッチは9-8、神宮競技場では38-5とジャパンは連勝した。
1963年、戦後初のジャパンの海外遠征先もカナダであった。テストマッチと認定されたブリティッシュ・コロンビア戦に33-6の快勝を遂げた。バンクーバー選抜には負けて4勝1敗で帰国している。
カナダ代表の最初のツアーは遠く1902年にさかのぼる。統括の協会はまだなかった。英国、アイルランド、フランスを56日でめぐり、実に22試合を戦い抜いた。8勝1分け13敗。国代表との対戦はないものの北アイルランドのアルスターやイングランドのブリストルには勝利した。胸にメイプルリーフの赤のジャージィはここで採用された。
この89年後の代表が過去最強とされる。1991年の第2回ワールドカップで堂々の8強入り。あれは確か開幕前、アメリカン・フットボール経験者の関西のスポーツ記者がホテルでカナダのチームと遭遇した。数日後、こう話したのを覚えている。「きっと強いですよ。フットボールのプロに近い体してますもん」。その通りだった。