『虎に翼』の寅子と多岐川にある、「逃げた」過去以外の「大きな共通点」
6月14日(金)第55回:寅子と多岐川の共通点
キラキラした目で理想を語る直明に、「お二方とも見ている方向は一緒ということですね」と言われ、その純粋さに心打たれる壇と浦野。 その日をきっかけに少年審判所と家事審判所の合併がスムーズに進んだ……というのは直明が超展開を起こしすぎで、「デウス・エクス・マキナ(演劇用語で、解決困難な局面を示唆や伏線が不十分なまま唐突に解決に導いてしまうどんでん返しや超展開のこと)」のようなご都合主義を感じるが、それ自体を自覚的なコメディタッチで描いているので許容範囲としたい。 また、拗れた大人の意地の張り合いに効くのは「青少年の純心」であり、それが桂場のいう「純度の高い正論」であり、多岐川のいう「愛」なのだろう。 年の瀬ギリギリになんとか終わった家庭裁判所の事務所開設作業。そこで汐見の口から語られたのは、凶悪事件を受け持つことから「逃げた」自分を責め続けてきた多岐川が、やっと見つけた「逃げずにいられるもの」が、子どもの幸せのために働くことだった、という身の上だった。 一度は法曹の道から「逃げた」と思っている寅子は、そんな多岐川と自分に共通点を見出すが、2人が本当に似ているのは、本来持っている「愛」と「純度の高さ」なのではないだろうか。 寅子が花岡とチョコレートをシェアしたとき、そこにあったのは確かに「幸せを分け与えたい」という純度の高い愛だったと思う。桂場はそんな寅子の性質を見抜いていたから、あえて「見栄や詭弁でブレて不純になるなよ」と苦言を呈したのかもしれない。 「国や法、人間が定めたもんは簡単にひっくり返る。ひっくり返るもんのために死んじゃあならんのだ。法律っちゅうもんはな、縛られて死ぬためにあるんじゃない。人が幸せになるためにあるんだよ。幸せになることを諦めた時点で矛盾が生じる」という多岐川の台詞は、今週の中でも屈指の名言だ。 すべては人が幸せになるためにある。今週のテーマは「混ぜる」だと思っていたが、「混ぜる」とは、白黒つけられない葛藤や矛盾、分かり合えない二項対立を無理やり一つにすることではない。両者それぞれに幸せを「分け与える」ことなのだと思う。
福田 フクスケ(編集者・ライター)