『虎に翼』の寅子と多岐川にある、「逃げた」過去以外の「大きな共通点」
---------- 『虎に翼』振り返り日記:第11週「女子と小人は養い難し?」 X(旧Twitter)に日々投稿する『虎に翼』に対する感想がドラマ好きのあいだで人気のライター・福田フクスケさん(@f_fukusuke)。連載「『虎に翼』振り返り日記」では、福田さんが毎週末にその週の感想を振り返って伝える。見逃してしまった人も、あのシーンが気になると思った人も、友達と自分の感想をすり合わせる気持ちでお楽しみください。 ---------- 【写真】日本国憲法に「男女平等」を加えることに尽力したウクライナ系アメリカ人女性 第10週でようやく「はて?」を取り戻した佐田寅子(伊藤沙莉)だったが、今週は花岡悟(岩田剛典)の餓死という衝撃の知らせから幕を開ける。 轟太一(戸塚純貴)と山田よね(土居志央梨)の再会の喜びも束の間に、今週を通じて描かれたのは、人間の白黒つかない葛藤や矛盾、そして、そうした問題に家庭裁判所がどのようなスタンスで臨むかという理念だったと思う。 善意ゆえの意外な傲慢さや無神経さも露呈した寅子が、「純度の高い正論」と「愛」の重要性に気がつく第11週を振り返りたい。
6月10日(月)第51回:寅子が泣きながら弁当を食べる意味
花岡が餓死したという衝撃も冷めやらぬままに、視聴者にその安否が気づかわれていた轟とよねが再会。なんといっても今日のハイライトは、よねが轟に対して「惚れてたんだろ? 花岡に」と見抜いていた場面だろう。 本作の脚本家である吉田恵理香氏は、自身のXで「轟の、花岡への想いは初登場の時から【恋愛的感情を含んでいる】として描いていて私の中で一貫しています」と明言している。 本来なら、完成した作品の外で製作者が真意を説明するのは野暮なことかもしれない。だが、「同性愛ではなく人間愛」「同性愛を超えた普遍的な愛」といった同性愛を透明化するような声がある中で、脚本家がはっきり示したことは表現することの責任に対して誠実な態度だと思う。 と同時に、劇中では轟の性的指向について明言したり、「お前、ゲイだったんだな」などと他人がジャッジしたりすることはない。よねも言っているように、それは他人が無理やり白黒つけたり、本人に自認や自覚を強制するものではないからだ。そのスタンスも同じくらい誠実な姿勢だと感じた。 裁判とは憲法や法律を基に物事に白黒つけるものだが、一方で本作は、人間の白黒つけられない葛藤や、割り切れない矛盾にも目を向けようとしている作品だと思う。 旧来の家族観/家制度に居場所を与えられ救われている猪爪花江(森田望智)のような女性にも寄り添うスタンスや、女性全体にはリベラルだが寅子にはパターナリスティックに接してしまう穂高教授(小林薫)の人物造形、法と実態の矛盾に縛られて餓死を選んでしまった花岡の描写、などにもそれは表れている。 吉田氏はXで「透明化されている人たちを描き続けたい」とも述べている。白か黒かのあわいにこそ、私たちが不可視化している問題がたくさんあるのではないだろうか。 だからこそ、最後に寅子が鼻をすすりながら弁当を食べるシーンは胸を打つ。ドラマ好きなら思わず、『カルテット』の「泣きながらご飯食べたことある人は生きていけます」というセリフを思い出す場面だろう。 ひょっとしてその食材はヤミ買いで手に入れたものかもしれないが、法と実態の矛盾を抱えつつ、それでも生きていこうと弁当を食べる彼女の姿は、のちに多岐川幸四郎(滝藤賢一)から語られる「人間、生き残ってこそ」「ひっくり返るもんのために死んじゃあならん」というスタンスに繋がっていたのではないか。