名将から愚将に転落! 「日本一」「リーグ優勝」監督が陥った“再任の罠”
「茶髪&ひげ禁止」の“鬼監督”復帰宣言
2002年の就任1年目に4年ぶりVを達成した西武・伊原春樹監督も、2014年の2期目は苦闘した。 渡辺久信監督の後任として11年ぶりに復帰。「ライオンズは常に優勝が宿命づけられている。監督が替わり、鬼が帰ってきたと思ってもらえば」と自ら“鬼監督”を宣言し、選手たちにも「優勝を目指すのではなく、“優勝します”だ」と檄を飛ばした。 茶髪、ひげの禁止などをルール化し、試合でも偽装スクイズや複雑なサインプレーを多用し、“伊原イズム”をチームに浸透させようと図ったが、渡辺前監督の“のびのび野球”に慣れた選手たちは戸惑い、萎縮し、チームの勢いまで失ってしまう。 開幕から3連敗した西武は、8カード連続負け越しで最下位に沈み、借金も6月3日にDeNAに敗れ、「14」になった。 翌4日のDeNA戦は1対0で勝利したが、試合後、伊原監督は緊急記者会見を開き、「一度、ここは監督が引いて、引くがために(チームに)いい風が吹くのではないかと思いました」と開幕から53試合目でのスピード休養となった。 その後、田辺徳雄代行が指揮をとったチームは、シーズン途中に入団し、伊原監督も「歴代の外国人でも最上位。デストラーデみたい」と期待したメヒアの活躍などで7月を12勝10敗と勝ち越し、一時4位に上昇も、序盤の借金が最後まで響き、63勝77敗4分の5位で終わった。
8年ぶりに復帰した“ミスター赤ヘル”
1期目の1991年にリーグVを達成した広島・山本浩二監督も、2001年からの2期目は、5年連続Bクラスと結果を出せなかった。 2年連続Bクラスに終わった達川光男前監督のあとを受けて8年ぶりに復帰した“ミスター赤ヘル”は、投手力の底上げと若手の育成を課題に、「足を使い、しっかり守って、1点でも多く取る広島らしい野球をする」とカープ黄金時代の復活を目指した。 1年目は金本知憲、ディアス、ロペスらの打線がリーグ2位の155本塁打を記録し、投手陣では黒田博樹が成長。だが、スローガンにも掲げた守りがリーグ最下位の守備率と安定感を欠く。また、抑え投手も確立できず、勝てば4年ぶりAクラスとなるシーズン最終戦のヤクルト戦に8対10で敗れ、横浜に1勝差の4位に終わった(同年のセ・リーグは勝数順位決定方式)。 翌2002年も投手陣がリーグ最低の防御率を記録するなど、投打がかみ合わず5位。4番・金本がFAで流出した2003年も、先発投手陣が崩壊し、“ポスト金本”の新井貴浩の不振などから再び5位と苦しいシーズンに。2004年も“赤ゴジラ”嶋重宣が首位打者、ラロッカが40本塁打と打線は活発ながら、“弱投”がネックとなり、3年連続5位と低迷が続く。