グループAのGT-FOURでもなくグループBのツインカムターボでもない……WRCに挑んだダルマセリカ!『モーターファンフェスタ2024』を振り返る
TE27カローラ・レビンからのバトンを受けたRA20"ダルマ"セリカ
トヨタのWRCへの挑戦は、WRC正式発足前の1970年のコロナ・マークIIGSSによるモンテカルロラリーが嚆矢。WRC発足(1973年)後の1974年に、トヨタはデビュー時にドライバーとして起用したオベ・アンダーソンが率いるTTE(TOYOTA ・TEAM・EUROPA)にWRC活動を委ねTE27型カローラ(レビン)を投入。1975年に悲願の初優勝を遂げる。1976年からは2.0Lの18R-Gエンジンを搭載したRA20型、"ダルマ"と言われた初代セリカにマシンをスイッチした。 MFFのトヨタブースに展示されたRA20型セリカ2000GTはTTEにより全4台が製作されたグループ4マシンの1台で、現存するのはこの1台のみと言われる貴重な個体。 エンジンは当時のトヨタの2.0L級スポーツユニットである1968cc水冷直列4気筒DOHC8バルブの18R-Gに、レギュレーションで許された競技用の16バルブヘッドを組み合わせている。 展示されたマシンはハンヌ・ミッコラのドライブで、デビュー年の1976年1000湖ラリー(フィンランド)で3位、1977年のRACラリー(イギリス)で2位を獲得した4台中で最も成績が良かった個体だという。
ランチア・ストラトスとも渡り合うが勝利には届かず……1976年
グループ4は400台(1975年までは500台)の生産義務を果たせばスペシャルマシンを開発することも可能であったが、実際にそうしたマシンを投入したのはランチアのストラトスだけであり、その他のメーカーはトヨタも含め量販市販車をベースにしていた。 1976年のWRCにはランチア・ストラトスHFを筆頭に、フィアット131アバルト、フォード・エスコートRS1800、サーブ96 V4、プジョー504、ダットサン160J(日産バイオレット)、三菱ランサーGSRがウィニングマシンとして名を連ねているが、ストラトスを除けば量販市販車のハイパフォーマンスグレードをラリー用に改造したものだ。 1976年シーズンのWRCは熟成成ったランチアが全10戦のうち4勝(112ポイント)を挙げ選手権を圧倒。2位のオペル(未勝利/57ポイント)にほぼダブルスコアのポイントでタイトルを獲得している。ランチア以外ではサーブ、三菱、日産、プジョー、フィアット、フォードが各1勝ずつとそれぞれの得意のラリーで優勝を分けあった形だ。 最終的にトヨタはポルトガルで2位、1000湖(フィンランド)で3位、RAC(イギリス)で5位のリザルトで、ランキングは6位で1976年シーズンを終えた。