「かくれキリシタン」信仰466年受け継ぐ集落の組織が解散…長崎県平戸市・生月島、過疎化で後継者減り
かくれキリシタンの信仰が残る長崎県平戸市・生月島で、466年もの間、信仰を受け継いだ集落の信仰組織が今年、解散した。日本で初めてキリスト教への一斉改宗が行われた地域の一つとされるが、過疎化などで後継者が減り、組織的な信仰を続けられなくなった。代々守ってきたご神体などは島内の博物館に寄贈され、企画展が開かれている。(小松一郎) 【写真】企画展で公開されている「プラケット」(平戸市生月町博物館・島の館所蔵)
金属製のご神体「プラケット」…信仰具80点並ぶ企画展
市生月町博物館・島の館で開催中の企画展「キリシタンの相貌」。会場には、解散した堺目集落の信仰組織や信者から寄贈された信仰具約80点が並ぶ。金属製の「プラケット」と呼ばれるご神体を前に、中園成生館長が「聖母マリアの姿がしるされた鋳造品で、スペインで作られ、450年ほど前にもたらされた可能性があります」と説明した。
同館によると、平戸では1550年にスペインの宣教師・ザビエルがキリスト教を伝え、堺目などでは58年、領民の一斉改宗が行われた。堺目では61年に教会が建てられたとされる。
「焼山」「幸四郎様」弾圧の歴史伝える聖地
だが、教会は禁教期に壊されたとみられる。堺目には、斬殺された信者の遺体を穴に放り込んで焼いたなどと伝えられる「焼山」や、殉教した信者が葬られた「幸四郎様」という聖地があり、弾圧の歴史を伝えている。信者は仏教や神道を受け入れながら、ラテン語の聖歌などを起源とする祈りの歌「唄オラショ」を歌い継ぐなどして信仰を守った。
同島では、キリスト教解禁後にカトリックに合流したのは少数にとどまった。文献によると、1953年には島民約1万1000人の9割弱がかくれキリシタンとされ、25組の信仰組織があった。このうち堺目の3組は83年、過疎化の影響で1組にまとまり、今年3月に解散。受け継がれてきたプラケット、お掛け絵(掛け軸の聖画)、コンタツ(ロザリオ)など500点が同館に寄贈された。
減少の背景に「独特の信仰形態」…島の信者は100人弱か
島内の信者は今後も減る見通しだ。7月には別の集落の信仰組織も解散し、島全体で残っているのは2組。このうち1組が来年1月に解散を予定している。減少の背景には、専任の宗教者が不在で布教活動が行われなかったといった独特の信仰形態もあり、信者は現在、100人弱とみられる。