ミカンが繋いだ愛媛と岩手…高校生が被災地へ届ける“奇跡の物語”
南海放送
13年前の東日本大震災。悲劇の裏で起きていた愛媛と岩手の奇跡の物語。 9月、愛媛の高校生が被災地を訪れました。3人が被災地で感じたこととは。
松山の劇団「みかん一座」が舞台化した“奇跡の物語”
これは、この夏私たちが東日本大震災と向き合った物語。私たちはせま、葵、あすかのJK。高校2年の私たち3人は松山市の劇団「みかん一座」で出会った。 東日本大震災の時は3歳。もちろん、その時の記憶はない。そして特に触れることなく生きてきた。そんな私たちがこの夏、舞台で東日本大震災を題材にした物語を演じることになった。 あすかさん: 「(東日本大震災は)テレビとか新聞で聞いた話しか分からないので…」 せまさん: 「分からないのでやっぱり地震にあった人の動画とかをいっぱいユーチューブとかで調べて見て、気持ちを考えて演じるようにしています」
1つ目の奇跡。地震の2時間前に岩手県宮古市のポストに投函された、田老第三小学校3年の4人の児童が描いたかまぼこ板の絵が震災をくぐりぬけ、地震の8日後、1400キロ離れたギャラリーしろかわに届いたこと。
2つ目の奇跡は、ギャラリーしろかわの館長が子ども達を思い岩手に送ったミカン。そのミカンの種が岩手の地で芽吹いた奇跡。 苗木は岩手から愛媛に里帰りし、「復興みかん えがおの木」と名付けられ、西予市明浜町で、ミカン農家さんの手で大切に育てられています。 2年前には、ついに実をつけました。想像を絶する悲劇をもたらした大震災。愛媛と岩手…こんな素敵な繋がりがあったんだ。
8月に2日間の日程で行った公演で私たちは、大切な友達が亡くなるシーンを演じた。 物語のバトン、受け取れたかな。 あすかさん: 「辛かったー。楽しかった」
13年前に届いたかまぼこ板の絵6枚のうちの1枚。電車の絵を描いた佐々木翔太さん。電車の運転手が将来の夢だった翔太さんは夢を叶えて鉄道マンになったんだそう。 9月、公演が終わっても私たちは踊りの練習を続けていた。岩手県宮古市、被災地の人たちに届けるために。 あすかさん: 「この物語(つながる奇跡)を実際に震災を経験した人に伝えられたら良いなって思います」