ミカンが繋いだ愛媛と岩手…高校生が被災地へ届ける“奇跡の物語”
岩手への旅で 震災の爪痕を目の当たりに
9月21日、岩手県・宮古へ。 あすかさん 「酷い震災があった後の空気感を感じられる旅になるんじゃないかなって思ってます」 震災から13年経った宮古市は、すっかり綺麗になっているように見える。だけどこの場所であの日、確かに震災はあったんだ。私たちは震災の爪痕を見て回った。
陸前高田市にあるこの松は、「奇跡の一本松」。これも、「奇跡」だ。ここには7万本の松林があったけど、津波で流されてこの一本だけが残ったそう。 近くには、津波で水没したユースホステルの跡も残されていた。 せまさん: 「窓は全部割れたんやね、無いってことは」 あずささん: 「でも残っとるのすごいね」 一本松は、復興への希望のシンボルとして大切に守られている。
宮古市では、震災前と現在について市の職員の方が教えてくれた。 宮古市 藤沢宏和さん: 「いろんな地区で防波堤ってあると思うが、あくまでも(逃げる)時間を延ばすため、ということで覚えておいてもらえたらと思います。皆高台に逃げるように区画整備しております」 江戸の昔から何度も津波被害を受けてきた宮古市田老町。 大震災前、田老の町には高さ10メートルの防潮堤が町全体を囲んでいた。だけど、あの日、津波はその防潮堤を超え、町を飲み込んだ。現在は、さらに高い14メートルの防潮堤が建てられている。
被災者の思いに触れて
被災体験を語ってくれた大棒レオ子(77)さん。 せまさん: 「被災した時に一番心の支えになったのは何ですか?」 大棒さん: 「皆さんからの『頑張って、応援してるから』という一言が心に残っています」 あすかさん: 「沢山の想いがあると思うんですけど、その想いを近くで聞いて多くを受け止められていたらいいなと思います」 大棒さん: 「これから若い人が頑張ってやってもらわねば」
夢を叶えて三陸鉄道の運転手になった翔太さんが運転する電車にも乗った。 せまさん: 「震災とかにも負けずに自分の夢を叶えていて、すごいカッコいいなと思いました」
そして私たちは宮古市役所のホールで宮古市の人たちに、松山で公演した舞台の映像を見てもらった。練習した伊予漫才も。 岩手県での3日間が終わり、私たちはそれぞれの「いつも」に戻った。 葵さん: 「商船学科で航海士になりたいです」 あすかさん: 「私は医師になりたいです」 せまさん: 「私は管理栄養士になりたくて済美高校に入りました」 この夏の出来事を胸に生きてゆく。 せまさん: 「(岩手に行って)今生きていること、普通に生きていられることのありがたさをすごく感じられました」 歩いてゆく。