意外に多い「天皇の銅像」 でも、明治天皇はなぜ同じポーズばかり? 顕彰の影にあった「最後の志士」の存在
日本には数多くの銅像が存在する。「東京三大銅像」は、上野公園の西郷隆盛、靖国神社の大村益次郎、皇居外苑の楠木正成で、いずれも明治時代の1890年代に建てられた。 銅像とはそもそも歴史的な偉人を顕彰するものであり、高知・桂浜の坂本龍馬像などを「日本三大銅像」と呼ぶこともあるようだ。しかし、日本史上では常にこれらの人より上位に存在していた者がいる。言うまでもなく〝天皇〟だ。ならば天皇の銅像もあるのかと言われると、にわかには思い浮かばない。なぜだろう。素朴な疑問を調べてみた。(共同通信=大木賢一) ▽数多い明治天皇像 「天皇」と「銅像」のイメージは、一般にはあまり結びつかないように感じる。肉体の細部を再現する〝銅像〟は天皇という存在には似つかわしくないのだろうか。 「たぶんないだろうな」と思いつつ最も関心があった昭和天皇については、ふと思いつき、話題の対話型AI「チャットGPT」で尋ねてみた。すると、「日本国内外でいくつか存在しています」として、「日比谷公園」「日本武道館前」「京都御所」「広島平和祈念公園」などが挙げられていた。
驚いて確認したが、当然ながらそのような場所にそのようなものはなく、完全な偽情報だった。敗戦と戦争責任の影がつきまとう立場でもあり、銅像になりにくかったのだろうか。結局、ネットなどでいくら調べてもついに見つからなかった。 対照的に、数多く存在するのは〝栄光の明治〟を体現し「大帝」と呼ばれた明治天皇の像だ。ほかに神武天皇や雄略天皇、継体天皇の像もあるが、明治天皇像は全国に10体以上もあるようだ。 設置された場所をざっと並べてみるだけでも、青森県八戸市、盛岡市、福島県いわき市、山梨県富士吉田市、愛知県新城市、愛知県日進市、岐阜市、徳島市、那覇市などに建っている。これらの場所は、行幸などのゆかりがあるというわけでもなく、神社や公園が多い。 建てられた時期を調べると、昭和40~50年代ごろが多いようだ。「明治百年」が昭和43年、つまり1968年だったことと関係しているのかもしれない。例えば福島県いわき市の像については、1970(昭和45)年2月の地元紙「いわき民報」に「建国記念日に除幕式 明治天皇立像が完成」との記事がある。「〝日本人の精神的シンボルを〟という趣旨から」前年に地鎮祭をして建立を進めていたという。また、青森県八戸市の像は、1971(昭和46)年の建立だ。山梨県富士吉田市の像も、銘板に「昭和四拾六年」の文字が見られる。