「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・柏木⑦ 昔を取り戻せたら…光君に募る尼君への「恨み言」
尼宮も起きて座っているが、髪の裾がいっぱいに広がっているのをひどくうるさがって、額髪を撫でつけていると、几帳をずらして光君が座る。いたたまれずに背を向ける尼宮は、いっそうちいさく痩せてしまって、髪は惜しんで長めに切ったので、尼削ぎとはいえ後ろ姿はふつうの人と違うようには見えない。次々に重なって見える鈍色(にびいろ)の袿(うちき)に、今様色(いまよういろ)の表着を着た、まだ馴れない尼姿の横顔は、かえってかわいらしい少女のような感じで、優雅でうつくしい。
■「もうこれきりと私を見限るのなら」 「ああ、なんて情けない。墨染(すみぞめ)というものは本当に嫌な、悲しい気持ちになる色だ。こうして尼姿になられても、この先もずっとお目に掛かることはできると自分をなぐさめてみるが、いつまでもやりきれない気持ちで涙が出てしまうのもみっともない。こうして見捨てられた自分が悪いのだと思ってみても、あれこれと胸が痛むし、残念でならない。昔を取り戻せないものだろうか」と光君は嘆息し、「もうこれきりと私を見限るのでしたら、真実、本心から私を嫌になって捨てたのだと、顔向けもできず情けなくてたまらない思いです。やはり、この私をかわいそうにと思ってください」と言う。
「こうして尼となった者は、この世の情けとは縁のないものと聞いていましたが、まして私はもともと情けというものをわかっていなかったのですから、どう申し上げることができましょう」と尼宮。 「張り合いのないことを言いますね。よくおわかりの情けもあるでしょうに」とだけ言って言葉を切り、ただ若君を見つめている。 次の話を読む:10月20日14時配信予定 *小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
角田 光代 :小説家