「佃煮」を知らない若者たちへ 佃煮発祥の老舗を継ぐ立教大卒30歳、江戸時代と同じ味とメニューを目指して
◆オンラインにも挑戦
――コロナ禍のときは、やはり売り上げにも影響があったのでしょうか? 実は、逆にラッキーなことがあったのです。 当時のテレビ番組は再放送が多かったですが、たまたまうちの店を取り上げた番組の再放送が続き、問い合わせが殺到しました。 店のホームページのアクセスが増えすぎ、サーバーがダウンしたほどです。 当時ホームページはあったのですが、注文は電話とファックスだけで、ネット販売はしていませんでした。 そこで、ネット注文ができるように仕組みを整えたのです。 コロナがなければ踏み切れなかったことでした。 もともと、オンライン販売には店側が難色を示していましたが、コロナ禍をきっかけに無理やり押し通した感じですね。 ――新規の顧客が増えたのでしょうか? むしろ、昔からのご贔屓のお客さまに「ようやくネット注文できるようになってよかった」と喜ばれました。
◆江戸時代のメニュー復刻を目指して
――6代目としてこれからの店を担っていくにあたり、どんなことをやろうと考えていますか? 昔あった商品の復刻です。 一部の商品の包装紙に、創業した頃のメニューが書かれているのですが、当時と品揃えは大きく変わりました。 おそらく、江戸湾で採れていた材料がだんだん採れなくなり、商品の品数がどんどん減っていったと思います。 復刻は海苔の佃煮からスタートしました。 父といろいろ実験を繰り返して商品化しました。 海苔の旬は冬ですから、冬限定で販売しています。 もうひとつ気になっているのは、初代の大野佐吉が佃煮屋を始める前に作っていたという「鮒のすずめ焼き」。 「鮒佐」の名前の由来は、実は「鮒屋の佐吉」です。 これもいつか復活にチャレンジしたいですね。 食育にも力を入れたいと考えています。 今、「佃煮」という言葉を知らない若者も多いのです。 でも、小さい頃から佃煮が身近にあれば、大人になっても買ってくれるでしょう。 親が子へと食をつないでいくうえで、伝統の食文化を次世代につないでいくのも、老舗の役割かもしれません。 鮒佐の味を守ることを第一とした上で、やってみたいことはたくさんあります。 守るところは守り、攻めるところは攻めていい。 まずはそれを見極める力をつけることだと思います。
■プロフィール
大野 真徳(おおの・まさのり) 1994年生まれ。立教大学観光学部交流文化学科卒業。学生時代はバックパッカーとして、アフリカ大陸縦断など世界50カ国以上を旅する。2017年、大学卒業と同時に家業の株式会社「鮒佐」に入社した。将来は6代目を襲名する予定で、5代目当主の父と共に釜場に立って佃煮を作り続けている。また、老舗の多い近隣の商店主らと協力し、歴史ある街の活性化にも取り組んでいる。