「遠い国の出来事ではない。一人ひとりが考えることが重要」ロシアによるウクライナ侵攻
歴史的には「主権国家・ウクライナ」を認めていたロシア
――ウクライナとロシアにはどんな歴史があるのでしょうか。 遠藤乾: ウクライナは、冷戦の終結と共に崩壊したソ連の一部でした。1991年にウクライナが独立した時、ロシアに対するアイデンティティーが強い人々がウクライナの中に残されたのはたしかで、クリミア半島やウクライナ東部にはいわゆる “ロシア系住民”が比較的多く暮らすことになりました。 1994年、ウクライナの非核化を条件にロシア・アメリカ・イギリスがウクライナを主権国家として認める、「ブダペスト覚書」が交わされました。ロシアはウクライナを一つの主権国家として尊重することに合意をしたのです。2014年の「ミンスク合意」においても、ウクライナを主権国家として認めた上で、ロシアはロシア系住民の保護を求めました。 この時、ロシア系住民の保護という側面において、ウクライナが天使のように振る舞ったわけではないので、そこに問題はあります。しかしそれ以上に問題だったのは、「ロシア系住民を保護する」という名目で、ロシアがウクライナ東部に兵をひそかに送り、軍事紛争勃発をけしかけていたということです。ロシアの介入によって、ウクライナの内部情勢が不安定化したという面は、今回のウクライナ侵攻の一つの背景となります。 ――NATOの東方拡大も、今回の侵攻の背景の一つと見られています。 遠藤乾: NATO(北大西洋条約機構)とは冷戦時代にソ連に対抗するためにできた軍事同盟です。加盟国が1カ国でも攻撃されたら、共同で防衛の義務を負うことになっています。 ソ連の崩壊後NATOの勢力は拡大し、昔ソ連が支配していた旧東ヨーロッパ諸国――ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、バルト三国、ルーマニア、ブルガリアが加盟しました。プーチン氏は、NATOがウクライナに触手を伸ばすのではと考えていました。そこで、ウクライナのNATO加盟を阻止するという名目のもとに侵攻を開始した。プーチン氏にとって、NATOの東方拡大は「偉大なロシアの勢力圏」が侵されてきた歴史です。そのため、失地回復への強い意欲があるのです。