柏木陽介が明かす“ミシャ”との秘話 恩師に「愛が深いなと感じる」訳【インタビュー】
柏木陽介氏が振り返る幼少期「まさか入れるとは思ってもいなかった」
昨季限りで現役を引退した元日本代表MF柏木陽介氏は現在、古巣のFC岐阜でクラブアンバサーを務める傍ら、県内で鵜飼観覧船の船頭を兼業するなど珍しいセカンドキャリアを送っている。「FOOTBALL ZONE」では選手の半生を深掘りする連載を実施しているなか、現役時代の恩師との出会いや、当時の秘話などを振り返ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介/全4回の1回目) 【動画】「え?まじ?」「顔が職人過ぎる」 柏木陽介が鵜飼観覧船の船頭として働くシーン ◇ ◇ ◇ 柏木氏は2006年からプロキャリアをスタートさせ、サンフレッチェ広島(06~09年)、浦和レッズ(10~21年)、FC岐阜(21~23年)でプレー。J1通算392試合56得点、J2通算31試合4得点、J3通算61試合1得点を記録し、日本代表としても11試合に出場している。 そんな柏木氏の幼少期は「兄ではなく、兄の友達に憧れた」のが理由でサッカーを始めた。「ボールが怖いという感覚はなかったし、小学1年生でリフティング150回できるぐらいは上手かった」と自負している。 その後は地元の中学に進学し、サンフレッチェ広島のユースに入団することになったが「まさか広島に入れるとは思ってもいなかった」という。「俺の代は学年で9人、全体でも30人ぐらいしかいなかった。関西トレセンで最終5人に選ばれて、そこで広島のスカウトに最終選考受けてみないかと話があり、加入することになった」と経緯を明かした。 ユースでも結果を残し、アンダーの代表にも選出されるなど順調なキャリアを歩んだ柏木氏は、トップチームに昇格し06年にプロデビュー。6月には恩師となるミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌)と出会った。 「初めての外国人監督で不安もあったけど、俺自身試合に出れていない状態だったので、逆にチャンスやなと。メンバーには入れてなかったけどやれる自信はあった。最初来た時はアンダー代表の活動もあって合流が遅れたけど、初めて挨拶した時は温かい、優しい人やなと思った」と、初めて対面した時や、当時の自身の心境を振り返った。