天下の‟奇祭"は本当に終わったのか? それでも、黒石寺「蘇民祭」の復活をあきらめられない男たち【突撃体験ルポ】
岩手県奥州市の「黒石寺蘇民祭」が2月17日にフィナーレを迎えた。ふんどし(下帯)姿の男たちが行列をなし、川の水を浴び、やがて小さな袋を奪い合う――そんな日本を代表する奇祭の火は、その勢いを年々弱めている。しかし、この地域には終わってしまっても諦められない男たちがいる。彼らの思いにじっくりと耳を傾けた! 【写真】裸参りで川の水を豪快に浴びる男たち(51枚) * * * ■かつては朝までぶっ通しの祭りだった 2月17日、妙見山黒石寺(岩手・奥州市)の『蘇民祭』が1000年を超える歴史に幕を下ろした。 下帯姿の男衆が五穀豊穣や災厄消除を願う蘇民祭は、日本三大奇祭のひとつに数えられ、古くから岩手県各地の寺や神社で開催されてきた。 国の無形民俗文化財にも指定される岩手の蘇民祭の中でも、黒石寺の蘇民祭は歴史が最も古く中核的な存在だ。 そんな伝統ある祭りが、なぜ終焉したか? 記者は下帯と足袋を鞄に詰め、開催前日に現地へと向かった。 まず訪れたのは、黒石寺がある奥州市水沢黒石町に隣接する同市・姉体(あねたい)地区、大谷翔平選手の生まれ故郷だ。 ただ、同地区に住む40代の女性がこう話す。 「この地区の住民で蘇民祭に行く人はほとんどいないと思います。子供の頃から、『あの祭りは野蛮だから行ってはいけません』と親にしつけられていましたから......」 黒石寺蘇民祭は、参加者に下帯の着用が義務づけられているが、かつては丸裸で祭りに挑む男性も多かった。 しかし、2008年の〝ポスター騒動〟が下帯必須の転機となる。同年、奥州市が制作した蘇民祭のポスターは、胸毛が生えた半裸の男性がモデルで、JR東日本が「不快感を与えかねない」と駅構内へのポスター掲示を拒否した。これが大々的に報道され、蘇民祭の存在が全国に知れ渡ることになったのだ。 祭りの運営を担う保存協力会青年部の菊地敏明部長(49歳)がこう説明する。「丸裸で祭りに出ることには、隠し事をせず、生まれたままの姿を薬師様(黒石寺の本尊・薬師如来坐像のこと)に見せるという意味合いもある。そこは警察や市もお目こぼししてくれていたんだけど、08年のポスター騒動以降、メディアから注目されたこともあり行政の目が厳しくなりました」 黒石寺蘇民祭は、夜10時に始まり、寺の向かいにある山内川で水をかぶり身を清める「裸参り」から、お守り(蘇民将来護符)が詰まった蘇民袋を裸の男衆で奪い合う「蘇民袋争奪戦」まで、計5つの行事が夜を徹して執り行なわれ、朝6時頃に閉幕する、というのが本来のスケジュールである。だが、今回は時間短縮のために行事のひとつ「柴燈木登り」(燃え盛る松の木組みに登り火の粉を浴びて煩悩を焼く儀式)が省かれ、祭り自体は夜6時~11時までの開催となった。