天下の‟奇祭"は本当に終わったのか? それでも、黒石寺「蘇民祭」の復活をあきらめられない男たち【突撃体験ルポ】
■若き住職が下した歴史的決断 午後4時頃、境内に設えられたわら掛けの小屋に参加者が詰め、裸姿で下帯を締め始めた。小屋内には炭火で暖をとりながら酒を飲んでいる地元衆もいる。その他、東京から「観光気分」で来訪したという大学生グループから、「厄払いのために」隣町(花巻市)から駆け付けたという40代男性まで、参加者はさまざまだ。 記者も解説動画を見ながら人生初の下帯を巻く。小屋の外は5℃、凍える寒さだった。 午後6時、男たちのかけ声が境内にこだました。 「ジャッソウ、ジョヤサ!」 裸参りの始まりだ。200人を超える下帯一丁の男たちが行列を成し、沿道を埋め尽くす見物人を横目に、本堂から山内川に下りていく。「蘇民将来!」と叫んで川水を3度かぶり、本堂やお堂の周囲約600mを歩いて川に戻る、これを3度繰り返すのだが、約100段の石段を昇り降りする最中、濡れた下帯と足袋に体温を奪われ、冷え切った足指や股間に激しい痛みが出る。 2周目で「もう限界」と心が折れかけたとき、背中に薬師様の〝視線〟を感じ、何とか踏みとどまった。そして不思議なことに腹の底から「ジャッソウ、ジョヤサ!」と叫ぶほどに、痛みや寒さは和らいでいくのだった。 裸参りで本堂の中を通る際、参加者たちは自らの存在を知らしめるように、堂内の板扉を掌でバンバンと叩く。そのわずか3m先で座禅を組み、薬師様に祈りを捧げていたのが黒石寺の藤波大吾住職(41歳)だ。17年、35歳という若さで第40世住職に就任した6年後の昨年12月、1000年の祭りに終止符を打つ歴史的な決断を下した。 裸参りの一団が堂内の藤波住職の背後を通るとき、「ジャッソウ、ジョヤサ!」のかけ声は一段と大きくなった。そのとき、住職の胸中にはどんな思いが去来していただろうか。
■祭りを中心の担う者たちの〝聖域〟 「ちょっと待ってくれ!」 昨年12月、蘇民祭が終了すると聞いたとき、前出の菊地氏はそう思ったという。その事情を説明するとこうなる。 昨年2月の黒石寺蘇民祭はまだコロナ禍の最中。参加者数を絞る形で「裸参り」だけが執り行なわれた。その祭りが終わると、菊地氏と住職らは「来年はフルでやろう」「頑張りましょう!」などと話していたという。 ところが、「昨年11月に住職から声が掛かり、てっきり祭りの〝フル開催〟に向けた話かと思ったら、住職が口にしたのは『祭りをやめる』という話で」。 それも、3ヵ月後に控えていた今年2月の蘇民祭も開催しないという唐突な話だったという。もちろん、菊地氏は祭りの継続が困難になっている事情を理解していた。 「黒石寺側がやめるというなら仕方がありません。ただ、次の蘇民祭も廃止するというのは待ってくださいと。せめて最後くらい、夜を徹して行なう本来の姿で開催させてもらえないか? と、住職には進言させてもらいました」 即終了を打ち出す寺側と、フル開催を望む保存会。その折衷策として開催されたのが今回の縮小版の蘇民祭だった。 祭りの終了を決めた理由について、住職は黒石寺の公式サイトでこう述べている。 「祭りの中心を担ってくださっている皆様の高齢化と、今後の担い手不足により、祭りを維持していくことが困難な状況となったためです」 住職が言う「祭りの中心」とは、開催日の1ヵ月以上前から実施される、蘇民祭の準備や儀式を指す。 例えば、前述の「柴燈木登り」で使用される松の木や、〝神が宿る場〟として境内の中庭に設えられる「お立木」用の柴木を山へ伐り出しに行ったり、麻の布を編んで蘇民袋を作ったり、若枝を五角形に削り、蘇民袋に入れる升5杯分の小間木(お守り)を作ったりといった作業で、開催日の前日からは「徹夜になる」という。 こうした「祭りの中心」を担うのが黒石寺の檀家だ。寺の近隣にある「黒石地区センター」の職員によると、「蘇民祭に携わる黒石寺の檀家は10軒しかなく、70~80代の高齢者が中心」という。 「蘇民祭の準備は蘇民袋を作る家、小間木を作る家といった形で、檀家ごとに役割が決められているのですが、その作業は、各檀家の家系で先祖代々受け継がれてきた儀式であり、言い換えれば、よそ者が立ち入れない〝聖域〟のようなもの。しかし、10軒の檀家のなかでは跡継ぎがいない家が多いんです」 黒石寺の近所に住む80代の檀家の男性がこう続ける。 「私の息子は40代で、今は県外で家族と暮らしていますが、檀家は、祭りの1週間前から外部の人との接触を断ち、家中で精進に務めなければならないしきたりがあります。会社勤めじゃ1週間も休めないし、祭りのために帰省するということができません。今の若い世代が檀家を継ぐのは、現実的に難しいんです」 こうした事情をくみ、住職は祭りの存続を断念した。 「コロナ前までは何とか祭りの準備を執り行なうことができました。ただ、コロナ禍の3年間、蘇民祭は休止となり、その間に私たちの年齢も上がって、祭りを支えるだけの気力も体力も維持できなくなっているという事情もあります。もちろん、1000年も続いた祭りそのものを、私らの代でなくしていいのかって思いもありますが......住職の決断を尊重したいと思います」(檀家の男性)