天下の‟奇祭"は本当に終わったのか? それでも、黒石寺「蘇民祭」の復活をあきらめられない男たち【突撃体験ルポ】
■「儀式」か、「イベント」か 前出・保存協力会青年部の菊地部長は、「来年以降も、形は変わるかもしれないが、蘇民祭を残していきたい」との希望を持ち続けている。 だが、そのハードルは低くない。昨年12月、黒石寺が蘇民祭の廃止を打ち出して以降、菊地氏は住職にこんな存続策を提案した。 「檀家さんが代々受け継いできた祭りの準備作業を青年部に任せてもらえないか」 この案を住職に三度持ち掛けたが、いずれも「そこは譲れない」といった主旨の返答だったという。檀家の仕事を手伝える人材がいるのに譲らない。その真意は、どこにあるのだろうか。住職は、地元紙「胆江日日新聞」2月15日付のインタビューでこう話している。 【イベントの「祭り」と、儀式の「祭り」は違う。黒石寺蘇民祭は儀式の祭りであり、その根幹にあるのは薬師信仰。蘇民祭は薬師信仰の手段の一つの形でしかない。となると、無理してそれを維持しなくてもいい】 菊地氏がこう補足する。 「住職のなかでは、檀家が代々受け継いできた作業も含めて儀式の『祭り』であり、そこを外部の者に引き継いでしまったら、信仰の意味が薄れ、『祭り』がイベントになってしまう。だから黒石寺としては、檀家の仕事を外に出すわけにはいかない。そういうことだと理解しました」 住職の決断を尊重しながら、どうすれば蘇民祭を残せるか? 今、祭りの存続を期す地元の男衆の間では、そんな模索が続いていた。保存協力会会長の佐藤邦憲氏はこんな具体案を持っている。 「私が考えているのは、檀家さんが関わらなくてもできるものだけを残し、祭りを継続するということ。例えば、裸参りで使う山内川は寺の敷地の外にあり、これまでも保存会が主体となって執り行なってきたものだから、檀家さんの手を借りずとも継続できる。 檀家さんの存在が必須となる『柴燈木登り』や『鬼子登り』などは難しいとしても、『蘇民袋争奪戦』は麻の布や小間木を用意できれば残せるんじゃないか。ただ、蘇民祭を黒石寺から離れた別の場所でやったのでは意味がありません。黒石寺には、祭りの開催期間に寺の境内と本堂を使わせてもらえないかという話を持っていこうと思っています」 蘇民祭を残していきたいという思いはいったい、どこから来るのだろう。 佐藤氏がこう話す。 「黒石町では、数年前に幼稚園が閉園となり、今年3月末には、黒石小学校が閉校となります。そこに蘇民祭の廃止が重なってしまえば、この町は沈んでしまうのではないか。地域の賑わいを維持するためにも、蘇民祭の火は絶やしてはいけないんです」 菊地氏の思いはこうだ。 「青年部としては、祭りの名称から『黒石寺』がなくなっても、蘇民祭は残すということで決定しています。われわれにとって、蘇民祭は物心がつく頃から当たり前のようにあるものだし、生きがいでもある。失いたくないんです」