天下の‟奇祭"は本当に終わったのか? それでも、黒石寺「蘇民祭」の復活をあきらめられない男たち【突撃体験ルポ】
■蘇民祭は、今が正念場 午後10時前、祭りのクライマックスとなる「蘇民袋争奪戦」が始まろうとしていた。本堂では約270人の男たちがすし詰めになり、体から白い湯気を立ち上らせながら、蘇民袋が持ち込まれるのを今か今かと待ち構えている。袋が運び込まれると、「ジャッソウ、ジョヤサ!」のかけ声は雄叫びに変わり、男たちの手が一斉に伸びる。 最後に蘇民袋の締め口の部分を掴んでいた者だけがその年の災厄を免れる〝取り主〟となるが、記者は屈強な男たちに揉みくちゃにされ、立っているのがやっとの状況だった。 そのとき、後方から「最後の争奪戦だぞー! 気合入れろーっ!!」との怒号が挙がると、男たちが押し合う力はさらに増し、記者はそこから弾き出されるように本堂の階段から転げ落ちそうになった。 履いていた足袋がボロボロに破けるほど熾烈を極めた争奪戦は、開始から1時間後に決着。前出の青年部部長・菊地氏が見事に蘇民袋を奪い取り、取り主となった。 この最後の蘇民祭で、人目を憚らず男泣きする人物がいた。約20年前から黒石寺蘇民祭の運営に携わり、今年初めて、祭りの中核を担う「世話人」に抜擢された佐々木光仁氏(61歳)。彼もまた、蘇民祭の復活を志すひとりだ。 佐々木氏が涙を流した理由は、「今回の蘇民祭で念願が叶い、たった12人(の世話人)しか身に着けることができない法被と手ぬぐいをもらえた」。 もうひとつある。 祭りが始まる直前、彼は藤波住職と話す機会を得て、「蘇民祭を残したい」との思いをぶつけた。すると、住職はこう返したという。 「檀家さんと私だけで(蘇民祭を終わらせると)決めて、申し訳ありませんでした」 佐々木氏からすれば、檀家の窮状を憂い、住職としての信義を貫いて蘇民祭を止めると決めたのなら、「最後までドンと構えていてほしかったし、謝らないで欲しかった。それが悔しくてね......」。 近年、岩手県内では蘇民祭がいくつも終了している。数年前に達谷西光寺(西磐井郡平泉町)、23年には伊出熊野神社(奥州市江刺区)の蘇民祭が終わりを迎え、さらに昨年12月、黒石寺が終了を宣言した途端、光勝寺(花巻市)など3つの団体が祭りの継続を断念した。 岩手が誇る、〝1000年の奇祭〟を維持できるか。いま、正念場を迎えている。 取材・文/興山英雄 撮影/下城英悟