「いつ逃げようか」 どん底に落ちた五輪メダリストの絶望と孤独 「結果が全て」と信じたけれど、弱さをさらけ出した先に見えたもの
「エネルギーが空っぽに」
競技を始めた小学1年のころから厳しい指導を受けた父の圭永さんの教えは「迷ったらつらい道を選べ」。バドミントンが大好きだからこそ、苦しい時も踏ん張ることができたが、度重なるけがで〝翼〟をもがれると、精神的にもどん底に陥った。 「性格的に本業(バドミントン)に全て集中していたので、できなくなってエネルギーが空っぽになった」と自宅から外に一歩も出ない日々に。悩みや苦しみを家族や友人に相談しようとも考えたが「マイナスな悩みを他人と共有するのは、実はすごく難しい。解決しない悩みに相手も巻き込んでしまう…。真っ暗闇だった」と孤独感に襲われた。
SNSにありのままの心情つづる
絶望の淵で唯一の光となったのが、ファンとの交流だった。「東京五輪の時は新型コロナの影響で周囲とのつながりを感じられなかった。だから『アスリートはこうでなければいけない』というイメージのきれいな言葉で飾るのではなく、等身大の自分を伝えよう」。けがに苦しみながらも、五輪後に始めた有料のSNS(会員制交流サイト)をこつこつと更新して苦しい胸の内も、わずかな喜びも、ありのままの心情をつづった。 「辛いこと、苦しいことが多すぎて、いつ逃げようか、いつ歩くのをやめようか考えた時間が多かった」(22年12月) 「いまの自分は弱い。そこを認めて、悔しく、もどかしい気持ちも大切にできている。日々成長している自分も認めながら、この過程もいろいろなことを感じながら過ごしていきたい」(23年7月)
元気を与える側だと思っていたけれど
勇気や元気を与える側だと思っていたアスリートが弱い姿をさらす―。ただ、それに対するファンの反応はこれまで以上に優しく温かかった。 「うれしかったことも苦しかったことも発信してくれる。『奥原さんが頑張っているから私も』と頑張ることができた」 「恐怖や不安に囲まれながらも競技にひたむきに取り組む姿を見て、尊敬の思いで見ています。私も頑張ります」
ファンの支えだけで走れた
激励、鼓舞、叱咤(しった)...。「私の等身大の姿に対してポジティブな言葉や応援する言葉をくれる存在がいて本当にありがたかった。その支えだけで走れた」。苦しみも喜びもファンと共有し、3歩進んで2歩下がりながら少しずつ前進する。万全な状態とはほど遠かったが、今年4月まで続いたパリ五輪代表レースは、2枠目を懸けて最終盤まで大堀彩(トナミ運輸)とデッドヒートを繰り広げた。