強豪チーム、強豪高校に進むことだけがプロ野球への道ではない
中学時代は公式戦0勝。高校時代は同級生が2人だけの弱小校。それでも環境を言い訳せずに「考える意識」で自らの野球人生を切り拓いた元東北楽天ゴールデンイーグルスの聖澤諒さん。9月11日に初めての著書となる『弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由』(辰巳出版)を出版しましたが、それは「強豪チーム、強豪高校に進むことだけがプロ野球への道ではない」という、自らの経験を多くの指導者、保護者に知ってもらいたい思いがあったから。そんな聖澤さんに改めて少年野球時代から高校時代までのお話を伺いました。(撮影=黒澤 崇/提供=辰巳出版) ■いまの中学生の方が当時の僕よりも全然上手い ――小中学校時代はずいぶん長閑な環境で野球をされていたそうですね。 小学校時代の練習は毎週日曜の朝6時から8時までの2時間、それだけでした。指導者も大学とかノンプロでやっていたような野球歴があるわけでもなく、子ども達に野球を教えたいという地域のお父さん達が教える感じで、ピリピリした感じもない伸び伸びやらせてもらえるチームでした。 ――週に2時間だけの練習だとちょっともの足らないとか、もっともっと野球をやりたい、全国大会に出たいとかそういう気持ちにはなりませんでしたか? 勝つことにこだわってやっていたというよりも、仲間と一緒に捕って、投げて、打ってということが楽しいなぁという感じで野球をやっていましたね。きつい練習、辛い練習もやったことがなかったですし「バットを100回振れ!」「こういうふうにやれ!」みたいに無理矢理やらされたこともなかったですし。 ネットもSNSもない時代でしたから他のチームがどれくらい練習をしているか、どんな練習をしているかも分かりませんでしたから、自分たちのやっていることが普通だと思っていました。 ――中学の野球部はずいぶん弱かったそうですね。 弱いということは先に入部していた兄を通じて知っていましたけど、近くに硬式クラブもなかったですし、そもそもシニアとかボーイズリーグという存在も知りませんでしたから、地元の中学で軟式野球をやるという選択しかありませんでした。 ――弱い野球部に入ることで小学校時代に抱いた「プロ野球選手になる」という目標、夢が遠ざかってしまう不安や葛藤はなかったですか? プロ野球選手になりたいとは思っていましたけど、漠然と「なりたいなぁ」と思う程度で、そのために具体的にどうするのかということまでは考えていなかったですね。なりたいのはなりたかったですけど「絶対無理なんだけど」とどこで思っているところがありました。 ――高校時代も弱かったそうですね。 県大会へ進むための地区予選を何年も勝ち上がれないようなチームでしたね。同級生も2人だけでしたし、1年の夏は初戦敗退、2年の夏はくじ運に恵まれたこともあって3回戦まで行けましたけど、最後の夏も初戦敗退でした。 ――そんな環境から最終的にプロ野球でも活躍されたことを考えると、聖澤さんの生まれ持った野球の才能とセンスがそもそも凄かったようにも思えます。 全く下手だったということはないと思いますけど、どのチームにもいる「ちょっと上手い選手」くらいのレベルだったと思います。いわゆる「スーパー小学生/中学生」みたいなことも全くなかったですし、同年代で甲子園に出場して活躍したり、高卒でプロに進むような選手達に比べると、野球のレベルは雲泥の差があったと思います。 いまは楽天アカデミーで子ども達を指導していますけど、当時の自分を客観的に見ても特別上手いとも、光るものがあるとも思わないと思います。いま通ってくれている中学生のほとんどが当時の僕よりも全然上手いですよ。 ■弱小チームでやったことは遠回りではなかった ――人より秀でていたものがあったとすると? 自分を客観的に見る力だと思います。特に中学時代は指導者が事実上いなかったので、上手くなるためには自分で考えながら練習をするしかありませんでした。練習もがむしゃらに数だけをこなすのではなくて「今のはどうだった?」「もっとこうした方が良いんじゃないか?」ともう1人の自分と心の中で会話しながら、自分を客観的に見ることを意識して練習をしていました。「上手くなりたい」という気持ちが強かったからこそ、指導者がいなくても、環境が整っていなくても、上手くなるためのアイディアを自分で考えて練習をしていました。そうやって自分を伸ばしてきたことが、人よりも優れていたというか、自分の強みだったと思います。 ――教えられたことをやるのではなくて、自分で考えながら練習をしていたんですね。 そうですね。小学校の時に「上手くなるためにはどうしたらいい?」ということを考えていて「ただ回数をこなすだけの素振りは意味がないんじゃないか?」と思って、それからピッチャーの投げるボールやカウント、ランナーなども想定して素振りをするようになりました。 野球中継を見るにしても、ただ見るだけじゃなくて「いまピッチャーはどんな心理なんだろう?」「この状況でバッターはどういうことを考えないといけないかな?」とか、そんなふうに考えながら見ていましたね。 ――中学、高校は弱小チームだったけど、振り返ってみたら決して遠回りではなかった? そうですね。自分で考える習慣が身についてよかったかなと思いますね。 ――部員が100人を超えるような強豪校で野球をやっていたら、その後の聖澤さんはどうなっていたと想像できますか? よく「2:6:2の法則」で考えるんですけど、部員が100人を超えるような強豪校でも意識を高く持って一生懸命にやる人が2割、まぁまぁ頑張る人が6割、頑張らない人が2割かなと思うんです。もし僕がそういった強豪校に進んでいたらですけど、一番上の2割、意識の高い仲間と切磋琢磨していたと思います。現に僕は弱小校から強豪の國學院大へ進んでいます。周りは強豪校出身の選手ばかりで自分が一番下のレベルで入部しましたけど、それでもメンバーに入って、キャプテンにもなってプロに行けましたから。 野球が上手くなりたい、プロ野球選手になりたいという思いがあれば、部員数とか学校の強い、弱いは関係なくて、全ては自分の考え方次第だと僕は思います。(取材・ヤキュイク編集部/写真提供:黒澤崇) 【書籍情報】 「弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由」 辰巳出版 1870円
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