紫式部由来の寺を参拝し、京都で最古級の神社へ至る【京阪電鉄鴨東線】
■京都御所から紫式部の邸宅跡へ
御所の観覧を終えて、ふたたび清和院御門から御苑の外へ。寺町通をさらに北へ進むと、お寺の山門が見えてくる。この寺が、紫式部ゆかりの廬山寺(ろざんじ)だ。 ■【画像】下鴨神社の楼門 山門は2つあり、南門の前には「紫式部邸宅址」の石碑、北側の門にも「源氏物語執筆地」「紫式部邸宅址」と墨で書かれた看板が掲げられている。 創建は938年だが、現在の場所に移されたのは豊臣秀吉が寺町の建設事業を行なった1573年ごろ。当時、秀吉が築いた「御土居(おどい)」という京都の洛中と洛外を区分する土塁も、廬山寺の境内奥に現存している。 寺院が移転される前の一帯は中川と呼ばれ、紫式部の曽祖父藤原兼輔の邸宅が建てられていた。紫式部はこの邸宅で幼少期を過ごし、また父の赴任先から京に戻ってからは、結婚生活や育児、執筆活動を行ったとされている。
■出町柳駅から下鴨神社へ
京都御苑に沿って寺町通をさらに北へ。今出川通を右に曲がって河原町通を越えると賀茂大橋が「鴨川」に架かっている。橋の上流は「賀茂川」と高野川の合流地だ。 なお、賀茂川の上流に鎮座する賀茂別雷(かもわけいかづちじ)神社の通称は「上賀茂神社」。賀茂川と高野川にはさまれた中州にある賀茂御祖(かもみおや)神社の通称は「下鴨神社」。この「賀茂」と「鴨」を間違えると、京都人から冷笑を向けられる恐れがあるのでご注意を。 下鴨神社の正式な創建は不明だが、第10代崇神天皇7年(紀元前90年?)に神社の瑞垣修理の記録があることから、それ以前に建てられた可能性があるとする。祭神は玉依姫命と賀茂建角身命。その下鴨神社の最寄り駅が、鴨東線の終着駅である出町柳駅だ。 出町柳駅から河合橋を渡って高野川を越え、北に進むと約5分で下鴨神社の一の鳥居に到着。ここから本殿まで続くのが糺(ただす)の森である。 糺の森は下鴨神社の南側に広がる原生林で、その広さは2万4000平方メートルと東京ドームの約3倍。しかし平安京が置かれた時代には、約495万平方メートルもの広さがあったとされる。 森の中には小川が流れ、祭祀の遺構も発掘されている。女性の「美」に御利益がある河合神社などの摂社も鎮座。 糺の森を抜けて二の鳥居を越え、朱色の楼門をくぐるころには、身も心も清められているような気分が満喫できる。