「故郷」のため支援コンサートの舞台に 日本のオーケストラ所属「ウクライナ人」団員にインタビュー 日本語の発音が「完璧」な意外すぎる理由とは
囲碁で日本語をマスター
そんな平和な地を戦火が襲ったのは、2022年2月24日だった。 「すぐにクルィヴィーイ・リーフの実家にもどりました。しかしすぐにロシア軍が迫ってきて、一部が町にも入り込んできた。危険を感じ、母や義妹らと、避難列車に乗り、リヴィウへたどりつきました」 リヴィウはウクライナ西端の都市で、ポーランドに接している。ここは国際的な「リヴィウ・モーツァルト音楽祭」(侵攻後は中断) の開催地としても有名だ。実は、あの大作曲家、アマデウス・モーツァルトの息子で、音楽家となったフランツ・クサヴァー・モーツァルトが後年、この地に移住し(当時はポーランド領)、オーケストラを組織して、現在の音楽院や劇場の基礎をつくり、リヴィウを音楽の町に育てたのである。このことだけでも、いかに、ウクライナが、音楽を愛する地であるかが分かる。 イリーナさんは、そのリヴィウを経由して、隣国ポーランドに逃れ、同年3月、日本に来た。しかし、どういった伝手で、日本まで……? そもそも、このインタビューは、通常の日本語でおこなわれた。イリーナさん、日本語の会話は、完璧! もしや、2年かそこらで、これほど話せるようになったのか……? 「実はわたしは、子どものころから囲碁が大好きで、18歳でアマ三段をとりました。ウクライナでは囲碁がさかんなのです。その囲碁クラブで、いまの日本人の主人と知り合いまして……」 つまり、イリーナさん、すでにウクライナにいるころから、もう日本語は達者だったのだ。日本へも、すでに何回か来ていたという。 「しかし、日本には、音楽関係の知り合いはいません。そこで、どこかに打楽器の仕事はないかと、いろんな音楽大学やオーケストラにメールを送って、訊ねました。いまから考えると、荒っぽいやり方だったと思います(笑)。いくつかオーディションも受けました。しかし……、ウクライナだったら、せいぜい10人くらいしか応募者がいないのに、日本では、100人くらい来るんです。とても厳しい」 そのうち、東京都交響楽団が、一度、エキストラで呼んでくれた。それを契機に、今度はPPTに招かれ、昨年4月、正式団員に採用された。 「日本での生活は、とても安定しているし、楽しいです。こんなに落ち着いて音楽ができることを、幸せに思っています。しかし、故郷クルィヴィーイ・リーフに残っている家族のことを思うと、そうとばかりもいっていられません。いまでも両親と祖父母が残っています。町には、その後、何回かミサイルが着弾して学校やアパートが破壊され、死者も出ています。もちろん家族とは、毎日連絡を取って、安否は確認しています。しかし“無事でいる”との返事は、要するに“生きている”ことを意味しているだけで、“十分食べている”“ゆっくり眠っている”という意味ではないのです」