ミッツ・マングローブ、一目惚れした美少年を追いかけて─ドイツ旅の思い出を明かす
タレントで歌手のミッツ・マングローブが、学生時代に過ごしたロンドンの思い出や、ドイツでの忘れられないエピソードを語った。 ミッツが登場したのは、ゲストに様々な国での旅の思い出を聞く、J-WAVEで放送中の番組『ANA WORLD AIR CURRENT』(ナビゲーター:葉加瀬太郎)。オンエアは6月22日(土)。
多感な時期をロンドンで過ごす
ミッツ・マングローブは10代から20代にかけておよそ7年間をロンドンで過ごし、1998年に慶應義塾大学法学部を卒業。2000年にドラァグクイーンとしてデビュー以来、さまざまな芸能活動を展開。女装歌手3人による音楽グループ「星屑スキャット」としても精力的に活動中だ。 ミッツは小学5年生の終わり、父親の転勤により家族でロンドンに移り住んだという。 ミッツ:いわゆる企業の駐在員ですね。そこから中学卒業まで4年間ずっと日本人学校に通っていました。家族で住んでいるときはパットニーでしたね。 葉加瀬:パットニーは日本人が多いよね。 ミッツ:細かい話をすると、私が転入する前の年まで日本人学校はカムデンにあったんですよ。なので、当時日本人は北にかたまっていました。そんな中、日本人学校が中西部に移転するので、ロンドンのテムズ川より南側にも日本人が住み出すことになりました。私が住んでいたパットニー、テニスで有名なウィンブルドン、大きな公園があるリッチモンドなどに日本人が移り住んできたわけです。ちょうどそういう時代でした。 登校の際は、パットニーからスクールバスに乗り、バーンズ・コモンを抜け、ハマースミス橋を渡って高速に乗って学校に向かっていたという。 葉加瀬:小学5年生から中学卒業までって、わりと多感な時期じゃないですか。ミッツが覚えている当時のロンドンの雰囲気はどんな感じでした? ミッツ:サッチャー政権の末期だったので、もっとも景気が悪かったんじゃないですかね。天気というよりも、街自体がどんよりしていて、「こういうところに来ちゃったんだな」と思っていました。一方、当時の日本はバブルの時代ですから、物価的なことも含めて日本人としてはすごく暮らしやすかったとは思うんですよ。ただね、通信とかも含めてまだ不便な時代ですから、私はとにかく日本の情報を渇望していました。 葉加瀬:そうですよね。 ミッツ:テレビもないしネットもないし、くるのは朝日新聞の衛星版だけ。新聞のテレビのラテ欄を見て、「こんな人たちが流行っているんだな」「この人たちが別れたんだ」とかを知りました。それを学校でみんなと情報交換して、どうにか日本の情報についていっていましたね。 葉加瀬:逆にロンドンの音楽のヒットチャートは? ミッツ:それはそれでハマりましたよ。一日中チャートミュージックを流しているラジオがどこに行ったって流れていますし、スクールバスでもかかっていました。ちょうど私が行った頃はユーロビートが大ブームでしたから、カイリー・ミノーグやペット・ショップ・ボーイズが入れ代わり立ち代わり毎週1位だった時代でしたね。ああいうサウンドはすごく原点になっています。 葉加瀬:音楽的にはイケイケだよね(笑)。 ミッツ:日本だけがバブルで4つ打ちが流行っていたかというと、そうでもなくて。世界的にキラキラしたものが輝いていた時代でしたね。