大河『光る君へ』京都・平安京を舞台に繰り広げられる権謀術策と男女の愛憎。宇治は、平安貴族たちが好んで別荘を構えた「別業の地」
◆なぜ宇治がゆかりの地なのか ドラマを見て、この時代について詳しく知りたいと思った人にぜひ訪れてほしいのが、宇治市にある「宇治市源氏物語ミュージアム」です。 このミュージアムでは、『源氏物語』のストーリーについて簡単に学べるだけでなく、「紫式部の時代」の貴族たちの暮らしぶり、つまり、『源氏物語』に描かれた平安京の王朝文化の一端を、さまざまな展示を通して理解することができるのです。 では、なぜ『源氏物語』のミュージアムが宇治市にあるのか。その理由をご存じですか。 京都駅からJRの快速電車で16分。宇治は『万葉集』や『平家物語』など、さまざま文学にも登場する風光明媚な土地です。 世界遺産である「平等院・鳳凰堂」をはじめ、見どころも多いのですが、宇治に足を運ぶ観光客はそれほど多くありません。「京都の中心地から遠い」というイメージがあるからでしょうか。ですが、その分、落ち着いてゆったりと観光できるのが宇治の魅力ともいえます。 美しい自然に恵まれた宇治は、平安貴族たちが好んで別荘を構えた「別業の地」でした。
◆宇治川を包む川霧にも似た悲恋 藤原道長はもちろん、光源氏のモデルのひとりといわれる源融(みなもとのとおる)らも宇治に別荘を持ち、舟遊びや紅葉狩りなどを楽しんでいたようです。 たぶん紫式部も、中宮・彰子のお供で宇治を訪れていたのでしょう。 その体験をもとに、『源氏物語』の最後の10帖(10巻)、「宇治十帖」が書かれたと考えられています。 そう、全54帖という『源氏物語』の長大な物語を締めくくる「宇治十帖」は、宇治が舞台となっているのです。 光源氏亡きあと、主人公は、光源氏の末の息子である薫(※実は、光源氏との血縁関係はない)と孫の匂宮に変わり、宇治川を包む川霧にも似た、しっとりとした悲恋が描かれます。
◆石畳の遊歩道「さわらびの道」 華やかだった物語は、さながら「春」から「秋」、「昼」から「夜」に転じるよう……。それゆえ「宇治十帖」は紫式部ではない別の人、しかも男性が書いたものだと主張する研究者もいるそうです。 宇治川には、宇治のシンボルともいえる宇治橋がかかっています。もともとは646年に架けられたという古い橋で、憂いを帯びた周囲の山々の風景とあいまって、その眺めは一幅の絵のようです。 宇治橋のたもとには、1000年の時の流れを見守るように紫式部の像がたたずみ、その対岸には、「宇治十帖」の有名な場面を題材にしたモニュメントも。近年、宇治市は「源氏物語の街」であることを前面に打ち出して、観光PRに力を入れているのです。 宇治十帖のモニュメントから、石畳の遊歩道「さわらびの道」(『源氏物語』巻48「早蕨(さわらび)」の巻名にちなむ)をしばらく歩くと、世界遺産・宇治上神社の前に出ます。 本殿は平安時代の創建で、現存する日本最古の神社建築といわれています。寝殿造りの拝殿は平安貴族の邸宅を思わせる風情で、御簾の向こうから女官たちの衣擦れの音が聞こえてくるよう……。宇治に行くと必ず立ち寄りたくなる、とても趣のある神社です。
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