ホラーのような怖い現実が多数 マンガ「教育虐待」が描き出す恐ろしい真実
地方は東京などと違って、中学から受験する子の数のほうが圧倒的に少ないです。そのため、優秀な子は優秀な子で完全に他の子と切り離されてしまいます。 例えば、塾の行き帰りも都会であれば受験塾に通う子も多いため、友達と一緒に電車で行ったりしますから、子ども同士で話しながら情報共有するなかで「ウチはちょっとおかしいかも」と気がつくチャンスがあるかもしれません。ところが車社会の地方では、塾の送迎を親が車ですることが多いですから、子どもは家庭と塾という世界しかなくなってきます。
公立から私立の中学にいく子がクラスや学校に一人か二人という状況では、この子たちがマイノリティなので、それが教育のやりすぎかどうか気がつきにくい。 地方は物理的スペースは広いのですが、生活圏はものすごく狭い。そういう中では教育虐待が起きやすいリスクがあると感じます。なのに、教育虐待に対する認識は薄いため、首都圏よりも子どもはつらいかもしれません。 児童相談所で保護されるレベルの子たちであっても、3分の1の子は自分が虐待されているとわかっていません。性的虐待や身体的虐待、ネグレクトなどの一般的な虐待は外見などから、物理的にもわかるものですが、それでもこれだけの子がわかっていない。
心理的虐待は目に見えないため、なおさらわかりにくいです。それに、親のほうも虐待をしているという認識がない場合が多い。子どもを壊していることに気がつかない。 例えば、中学受験の前後に、子どもが勉強のストレスなどで突然ドロップアウトして学校に行けなくなったような場合、うちの子が弱くてそうなったとか、他の子からいじめられた、悪口を言われたなどと、よそに責任転嫁する親は多くいます。 こういう方は、自分自身の行動によって子どもが傷ついているとは思っていない。でも、教育虐待の認知が広がれば、学校の先生などが手を差し伸べられるかもしれない。教育虐待という概念をある程度、現場のところまで広めたいんです。そのためにもやはりマンガという表現には可能性があるんじゃないか。
一般的な虐待同様に、教育虐待についてもチェックする機会があれば、深刻化する前に何かしらの手を差し伸べることができるのではないかと思います。 (後編に続く)
宮本 さおり :フリーランス記者