第50回大会を迎えた日大付属大会、立ち上げメンバーの南谷光一氏は「この大会が唯一遠くに行ける大会だった」
さらに「先ほどの宮崎対藤沢の試合を見ても全国レベル。サッカーのレベルが変わったし、生徒たちもスポーツマンらしい生徒たちになった。これは本当に素晴らしいこと。技術だけじゃなくて行動も立派になった」と、昔に比べ大会のレベルも質も上がったと喜んだ。 そのレベルを引き上げている代表格ともいえるのが、全国大会常連となった日大藤沢。その日大藤沢を率いる佐藤輝勝監督も高校生の時にこの大会に出場している。 佐藤監督は日大三島出身。先輩を追って入学し、サッカー選手を目指していたが、南谷先生に出会ったことで「指導者になりたい」と目標が変わった。南谷さんとの出会いが人生を変えたのだ。 「"いいからやれ"という指導ではなくて、当時では珍しく、なぜできないのか理由を説明してくれる指導だった。"サッカーは楽しい"というのが指導の根底にあって、やっている自分たちも楽しかった。選手一人一人を大事にしてくれて、例え話もイメージしやすい。今の自分の指導の基礎になっています。 自分は南谷先生に井戸を掘ってもらった。今はありがたいことに注目してもらえるようになって、おいしい水を飲めるようになりました。最初に指導者としてやっていこうと思わせてくれた人は南谷先生なので、そこを忘れちゃいけないと思っています。子供たちにも、小学校や中学校で最初に教えてもらった、自分の井戸を掘ってくれた人に感謝しようと言っています」。 厳しい指導が当たり前の時代に、個人に寄り添いサッカーの楽しさを教えてくれた。そんな南谷さんの指導に触れ、佐藤監督は指導者を志すようになった。 そんな教え子の佐藤監督について南谷さんは「彼は覚悟をもって浪人して、体育の勉強をして日体大に入った。大学では指導部を作って、オランダにも行って勉強して。僕のところで教育実習をやったんですが、最初は少しだけ一通りやり方を見せてあとは任せた。そしたら彼は生徒たちととことん向きあって、数週間で心を掴んだ。選手たちの入り口から出口までを面倒を見れる。だから人が集まってくる。そうやって名監督になった。卒業して教員になった子は沢山いますけど、彼が一番皆から一目置かれる存在になった」と嬉しそうに話す。 「みんな選手を目指すけど、サッカーは選手だけじゃない。審判や指導者や他の道もある。レベルが高くなれば試合に出るのも大変だけど、辞めないで続けることで、サッカーを通じて素晴らしい指導者に出会えて、人間もできてくるんです。サッカーだけじゃなく、社会人としてちゃんとした人間になることが大事」。選手や指導者、人と人との出会いが成長につながり、可能性を広げてくれるとしみじみ語った。 第1回から積み重ねてきた歴史。その中で確実に南谷イズムは佐藤監督を筆頭に教え子たちに引き継がれている。これからも60回、70回、100回と続いていくであろう日本大学体育大会(高校の部)サッカー競技会。井戸を掘ってくれた人がいるからおいしい水が飲める。南谷さんが見守る中、来年も日大付属校の選手たちが時の栖でピッチを駆け巡る。 (文=会田健司、写真=古部亮)