球界大御所が夏の甲子園を失った球児達へ檄「甲子園だけが人生じゃない。野球バカではいかん。今こそ勉強しなさい」
広岡氏も、高野連の決断は支持したものの、まだ「終わっていない夏」に対する高野連の姿勢は問題視した。 その上で、春のセンバツに続き、夏の甲子園もなくなり絶望にくれる球児たちにこんなメッセージを送った。 「高校生、高校野球の本質とは何か。学びだ。今回は、その本質について向かい合い、真剣に考えるチャンスではないか。これからの人生の方が長いのだ。甲子園が人生のすべてではない。選手たちは、つらいだろうが、気持ちを切り替えることだ。このピンチは、これから先の自分の人生を考えるチャンスである。逆境を乗り越えることで精神的に強く立派になれる。今こそ勉強をすればいい。甲子園に出るためだけに私立の学校へ越境入学してきた選手も少なくないだろう。彼らは、今後、大学、社会人、もしくはプロへ進むのかもしれない。どの道へ進むにしろ、野球バカではいかん。勉学が大切になってくる。その機会を得たと考えればいい。そして、その今すべきことは何か、大切なものは何かを監督、コーチ、部長先生ら、高校野球の指導者がしっかりと教えること。高野連は、その責任を曖昧にしているが、指導者には、子供たちに、その道筋をしっかりと示す責任がある」 甲子園至上主義へのアンチテーゼを含んだ主張だ。 広岡氏も、呉三津田高校時代、西中国大会の決勝に進出したが、自らのエラーもあって山口の柳井高校に逆転負けして甲子園の土は踏めなかった。その悔しさから勉学に励んで早大へ進みプロへの道を切り開いてきたという経験がある。
「プロを目指す選手は不安なのかもしれないが、甲子園がなくともプロのスカウトはちゃんと素材を見ている。昔からそうだった。まして情報網の発達している現代ならなおさらだ。古い話で恐縮だが、稲尾も甲子園に出ずに大投手になった。プロで成功する条件は甲子園ではない。出たいと頑張った努力なのだ」 広岡氏が例に出したのは「鉄腕」と評された276勝のレジェンド、故・稲尾和久氏。大分県立別府緑丘高校時代には甲子園出場機会はなく、まったくの無名だったが、1956年に西鉄ライオンズに入団し、高卒3年目の1958年には33勝し、巨人との日本シリーズでは、7試合中6試合に登板して4試合に完投し、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれるまでの名投手となった。 「甲子園の代替案のアイデアは浮かばないが、苦難を乗り越えれば何かを得る」 こんな状況だからこそ、プロ野球界の大御所、先人の言葉に耳を傾ける必要があるのかもしれない。 (文責・駒沢悟/スポーツライター)