「未踏峰主義」から「山を楽しむ」へ 伝統の京大山岳部、部員減少に授業出席も
日本の山岳界に大きな影響を与えた京都大山岳部の活動スタイルが近年変化している。かつての「未知の海外高峰を狙う」大目標から、現在は「山を楽しもう」と国内で汗を流す。授業出席で山に費やす時間が限られることなどが影響しているようだ。(共同通信=豊田正彦) 「山スキーや雪山、岩登り…。いろんなことができる」。高校時代、吹奏楽部員だった現リーダーの3年生佐藤攻太郎さん(22)は国内の山の魅力についてこう話す。前リーダーの4年生田中丈太郎さん(23)は部員勧誘のPRでスノーボードもやれる、と今風のイメージをアピールした。全部員は15人、そのうち女性部員は2人。昔の「ごつい山男集団」という印象は既にない。 かつて部は「未踏峰主義」を理想にヒマラヤの高山に挑戦し、学術調査も行い成果を挙げた。OBの中川潔さん(67)は「2年生までは山浸りの生活だった」と回想する。そうした部の姿はここ20年ほど前から大きく変わった。
部員が減少し2012年度は入部者ゼロ。OBで現在部長を務める竹田晋也教授(63)はその理由をこうみる。「授業出席のチェックが厳しくなり、授業料も高くなった。就活期間は前倒しされた」。授業にきっちり出て学費稼ぎのアルバイトが増えれば、山へ行く時間はどうしても確保しづらくなる。 新潟県妙高市の高原にあり部の訓練に利用する笹ケ峰ヒュッテに5月上旬、中川さんらOB3人が部の今昔談議をしていた。卒部生らで組織する京都大学学士山岳会(AACK)の幸島司郎会長(69)は「(今の部員は)自分たちがハッピーだと思う仕組みを考え、行動すればいい」と現状を見据えた上で学生の自主性を尊重する。 部員は山行前に行動計画を厳しくチェックする。佐藤さんは「安全を第一にして、自分らの好きな山登りをすることが部の中で広がればいい」。大先輩らが一番大切にしたのも同僚の命。活動の形は変わっても、強い仲間意識は脈々と流れている。
◎京都大山岳部 1947年に発足。戦後の海外高峰遠征ブームの中で1962年にインドラサン、1964年にアンナプルナ南峰ガネッシュなど、ヒマラヤの7千~6千メートル級の山の初登頂を果たした。部のOBが多く所属する京都大学学士山岳会(AACK)は世界の高山や極地に向かい、1956年には会員の故今西寿雄氏が8163メートルのマナスルに初登頂した。