<連載> 僕はパーキンソン病 恵村順一郎 文豪・神童に愛された「厄介もの」 実は人なつこい益鳥、共存を探りたい
ムクドリにとって、集団ねぐらは「情報センター」でもある。 菅原光二、丸武志著『カラー版/自然と科学㊿ムクドリ』(岩崎書店)によれば、良いエサ場で十分に食べてねぐらに戻ったムクドリのグループは、翌朝、さっさと同じエサ場に向かう。だから朝早くねぐらを発つグループを追いかければ、良いエサ場にたどり着ける。 ムクドリたちはこのようにして、田畑の土が耕された、河川敷の草が刈られた、柿などの果実が熟し始めた、といったエサ場の情報を伝達・共有しているようである。 森鷗外(1862~1922)は1909年から5年間、ドイツ紙の芸術や政治のニュースを翻訳し、雑誌スバルに55回連載した。これを『椋鳥通信』と名付けたところに、ムクドリを情報伝達役になぞらえる鷗外の思いがにじむ。 丸山薫(1899~1974)に「一羽と群と」という詩がある。 〈群をつくる小鳥やかよわい動物たち(略)それら団結のすがたは芽出度いが/一匹一羽ずつの生命は脆く儚(はかな)いのだ/或るものが傷つき疲れて仲間からはぐれる/――と他のものがどのように悲しみ呼ぼうと/かれはかれらの友愛と希(ねが)いを裏切って/むなしく波に溺れ 嵐の中に斃れてゆくのだ ともすればかれらを四散させようとする寂寥の運命と/その孤独をあつめて温め合おうとする協力への本能と/絶えず生物(いきもの)たちの生態に犇(ひし)めいている二つの力/その必死の相剋を思うとき/私の心は熱くなる――〉(『丸山薫全集3』角川書店) 集団ねぐらは周辺の人間には厄介ものだ。けれど、一羽一羽はかよわいムクドリたちにはなくてはならぬ大事な居場所である。
人間たちは、躍起になってムクドリたちを追い立てようとする。街路樹を伐採したり網で覆ったりするほかに、▽猛禽をかたどった「鳥かかし」を吊るす▽猛禽の鳴き声の録音を流す▽大きな音やLED電飾の強い光で驚かす……。 だが、いくら追い払っても、面倒なムクドリたちが消えてなくなるわけではない。少し離れたところに集団ねぐらを移すだけだ。いたちごっこであり、「面倒」のたらい回しに過ぎない。 ムクドリ対策のためだけではないが、日本の街路樹はこの20年間で約50万本も減ったという国土交通省のデータがある。残念でならない。 一時的な効果しかない「ムクドリ追放」に手をこまぬいている間に、さらに多くの街路樹が伐り倒されるだろう。先の見えない攻防に予算と時間を空費するのはやめ、平和的な共存の手だてを探るしかない。たとえば、人々が邪魔だと感じない場所に集団ねぐらを誘導することができないか。 遠回りのようでも、それが共生への近道ではないか。 文・写真 恵村順一郎 ◇ 恵村 順一郎(えむら・じゅんいちろう)ジャーナリスト 元朝日新聞論説副主幹 1961年、大阪府生まれ。1984年、朝日新聞社入社。政治部次長、テレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターなどを経て、2018年から2021年まで夕刊1面コラム「素粒子」を担当。2016年8月、パーキンソン病と診断される。