【証言・北方領土】歯舞群島 多楽島・元島民 河田弘登志さん(1)
昆布漁に最適だった島の地形
――とても大きな共同体だったんですね。それに小さな島ではないですね。島の端の人には学校は遠かったのでは。 12平方キロくらいですから。大体、中心のところに学校があるんですけども、学校は、島が発展してくるにしたがって、移ってきたんです、お寺とか、学校とか、いろんな公共のものが全部移ってきました。私は、比較的近いですよね。 ――河田さんの自宅もちゃんと(千島連盟の地図に)記録されています。 祖父の名前であるんですけど。やっぱりこの辺は遠くなりますよね。それから、こっちのほうから通う人も遠いですね。遠いですけれども、1時間なんてかかんないですよね。 ――島の東から栄えて、次いで南の方に移った感じです。 そのようです。早く入った人はこの辺からですね。神社だけは移せないもんで、神社はずっとここにあったと。神社もこれだけでなくて、ここにもあったし、こっちのほうにも神社もありましたけれども。 ――地形は、どうでしたか。でこぼこですか。平らですか。 ほとんど平らな島です。よく友だち、色丹の人と話するんですけど、「あのせんべい島」って言うんですよね。せんべいぐらい高いとこがないと。ペターンとして、20メートルくらいでしょうね、高いところで。ですから、なおさら昆布漁には適してるってことです。昆布漁するには、必ずうちの前に、昆布干す乾場があって、そこに船を着けられるというようなところが一番いい場所ですから、そういう地形のところに集まってるわけです。 ――皆さん、海岸沿いに住んでいる。 同じ歯舞群島でも、周辺にずっといたところっていうのは、そうないと。地形の高いところはどうしても切れます。かつては、この一番高いところの辺に缶詰工場なんかもあったんですね。地形が高いってことは、海もそれなりに深いですね。缶詰工場で、カニ主体ですけど、この辺にそういった船が係留。ここにちっちゃな島がもう一つあるんですけど、ちょうど船を係留させるのにいい、と。 ――水晶島もすごく平べったいというか、凹凸がない感じでしたけれども、地形的には、近いですか。 いや、あれ以上ですよ。水晶島より、もっと低いですよ。