名前が「片岡明日香」、『めちゃイケ』にハマって…日テレ若手プロデューサーが語る数奇な運命「テレビしか眼中になかった」
配信プラットフォームが活況を呈し、テレビの観られ方が大幅に変わりつつある今、番組のつくり方にもこれまでとは違う潮流が勃興しています。その変化の中で女性ディレクター/プロデューサーは、どのような矜持を持って自分が面白いと思うものを生み出しているのか。その仕事論やテレビ愛を聞く連載です。 【画像】「THE W 2024」プロデューサーの片岡明日香さん(27) 今回は『1億人の大質問!? 笑ってコラえて! 』『with MUSIC』『おしゃれクリップ』 などに携わり、入社6年目にして『女芸人No.1決定戦 THE W 2024』のプロデューサーに就任した片岡明日香さんにお話を伺いました。(前後篇の後篇/始めから読む)
エンドロールで「かたおかあすか」を発見して
――1996年生まれ、2019年入社でいらっしゃいます。片岡さんが就活をしていた時期のテレビ業界って、昔ほど“憧れの業界”ではないですよね? 全然憧れられてないですね(笑)。誰も目指してなかったです。 ――その中にあって、なぜテレビを志望されたんでしょう。 恥ずかしいんですけど、私、名前が「かたおかあすか」なんですよ。 ――あぁ! 『めちゃ×2イケてるッ! 』(フジテレビ)の片岡飛鳥さんと漢字違いですね。 私が小学生の頃ってフジテレビのバラエティが全盛期で、めちゃめちゃテレビっ子だったんです。『めちゃイケ』をずっと観ていて、そこで「私はテレビ局に行くんだ」って勝手に植え付けられて。 ――その頃すでに片岡飛鳥さんを認識されていたんですか? してました。エンドロールで知ったんだと思います。『めちゃイケ』の番組中で「アスカさん」って言われているのをよく聞いていて、「誰だろう」とずっと思っていたんです。それでエンドロールをよく見たら「片岡飛鳥」って名前があって、字は違うけど音が一緒だ! って。のちに「すごい有名な人だったんだ」と知りました。 ――エンドロールをそんなにじっくり見ていたということは、制作への興味が強かったんでしょうか。 その頃はスマホもなかったんで、テレビしか見るものがなくて、文字とかテロップとか隅々の情報まで全部観ていたんですよ。当時観ていた映像の記憶はめちゃくちゃはっきり残ってます。それと、私は実家が本屋だったんで、家に本ばっかりあって。だからこそ逆に「本とは違う分野に行きたい」となんとなく思っていたのもありますね。 私は一個決めたらこう、というところがあって。子どもの頃の「テレビに行くんだ」という考えのまま、大学はマスコミに行けそうなところを選んで岡山から上京して、そのまま就職もテレビしか考えていなかったです。 ――「かつて観ていたようなテレビを作りたい」と。 いや、「テレビを作りたい」というより、私は今27歳なんですけど、この世代の考え方として「楽しいことをずっとしていたい」が強いんですよね。小学生だった私にとって楽しいこと=テレビだった。だから「テレビを作りたい」が先にあったんじゃなくて、「楽しいことをしていたいからテレビに入る」なんです。その思想が大学生になっても解けなかった。なんでそれが解けなかったのは自分でもわからなくて、怖いです(笑)。 ――大学で東京に出てきたら、もっと楽しいこともいっぱいあったのでは? そうなんですよ。しかも、テレビ局で働いている人間がこんなことを言うのもよくないですけど、高校以降はテレビをあんまり観てないんです。中学校ぐらいまでしか観てない。でも「楽しかった」っていう子どもの頃の記憶がこびりついていて、そのままここまで来てしまいました。