川口のクルド人、トルコの農閑期に難民申請、農繁期に帰国 血縁集団の絆で「移民の連鎖」 「移民」と日本人 クルド人が川口を目指す本当の理由③
関係者によると、川口周辺では1990年代初めに来日した2村の一族を筆頭に、いくつかの一族が在留している。先に来日して解体業を始めた一族が、あとから来日したクルド人やトルコ人らを雇用するヒエラルキー(階層構造)も生まれているという。
■われわれが自由と思うか
アドゥヤマン県では、クルド独立主義者にも出会った。広大なユーフラテス川を望む丘の上で、農業を営む30代のクルド人男性は誇らしげに言った。
「これがメソポタミアだ。クルディスタン(クルドの地)だ」
クルディスタンとは、トルコ南東部だけでなくシリア、イラク、イランなどにまたがるクルド人の居住地域全体を指す。かつてはオスマン帝国だったが、1920年代、この地域で石油が採掘されたことから帝国主義の欧州列強が分割。クルド人は「国を持たない民族」となった。
特にトルコ政府は90年代ごろまで、「山岳トルコ人」と呼んでクルド民族の存在を否定、徹底した同化政策を進めた。男性一家も山の上にある小さな村の出身だが、同化政策により数十年前に山を下りた。
男性はクルド人の独立を夢見ており、青年時代に公園でクルドの歌を歌っていて警察に3日間拘束された経験を持つという。
川口周辺でクルド人の一部と地域住民の軋轢(あつれき)が表面化している問題も、インターネットを通じ知っているといい、「カワグチのクルド人は難民だ」と主張。「われわれがトルコで自由だと思うか」と真顔で尋ねた。
「クルド人にとって、クルドの地で暮らすのが最善だ。クルディスタンは石油も出る。日本よりも豊かだ。しかし、トルコでは生きづらいため日本で難民申請しているのだ」
男性は丘陵地帯で車を走らせながら、「PKKはわれわれをトルコ軍の兵士から守ってくれている」とも言った。
PKK、クルド労働者党はトルコ国内のクルド人非合法武装組織。「クルド人国家の樹立」を掲げてテロを引き起こしてきた。
かつてトルコ政府によるPKK掃討作戦が行われた同国東部の都市へ向かった。