絶対に巻き込まれてはいけない!「幸せ」になれず「歪んだ幸せ」を求める人の理不尽な言動
本心から“幸せになりたくない”と思う人はまずいないでしょう。 幸せの形は人それぞれです。 好きな人と一緒になる、家族をもつ、人から認められる、やりたい仕事に就く、出世する、お金持ちになる、有名になる、推し活をする、といったものから、嫌いな人が不幸になる、ライバルを蹴落とす、人を支配する、欲しいものは何でも手に入れる、邪魔な敵を消し去る、といったものまで、幸せの感じ方は人によって様々です。 しかしそこでも共通しているのは、みんな「幸せになりたい」という動機なのです。 人は「幸せ」になりたいから、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうのです。人は「幸せ」を感じたいから誰かに意地悪なことをしてしまうのです。 「みんな幸せになりたい。だけど、そのやり方がよくないのだ」 そう考えると、みなさんの周りにいる意地悪をしてくる人たちを多少は理解でき、ほんの少しだけでも寛容な気持ちになれるのではないでしょうか。 しかし、同時にそれはその人たちが歪んだ幸せを求めている、ということでもあります。
無条件に幸せを追求してもいいと言えるのは、その行為が他者を巻き込んで不幸にしないときに限られるでしょう。幸せを追求しすぎて結果的に自分だけが不幸になってしまうのは自業自得ですが、他者を巻き込んでしまうことは本来、許されることではありません。ところが、他人を不幸の渦に巻き込んででも自分の幸せを求めすぎてしまう人がまさに、 「歪んだ幸せを求める人たち」 なのです。 ● 歪んだ幸せにつながる 5つの要素 “ケーキの切れない非行少年たち”(編集部注/筆者が医療少年院での勤務時に接した非行少年たちを分析した書籍。同書では、少年院には認知力が弱く「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたことが指摘されている)も、結局は自分が幸せになりたいから非行をやって被害者を作ってきたのです。しかし、これは決して他人事ではありません。みなさんも知らず知らずのうちに歪んだ幸せを求めて、自分ばかりか他者をも巻き込んで、結果的に幸せから遠のいている可能性もあるからです。 「幸せ」を感じる具体的なものには、愛情や人からの承認、お金、物の所有、仕事の成功などがあげられるかと思います。人としてこれらを求めるのは当たり前のことです。しかし、他者と比較して「まだ足りない」と感じて、さらに求め過ぎてしまうとそこにいくつかの歪みが生じます。それが次に挙げた5つの歪みです。