「飲み会だと思って行くと、ニッポン放送のラジオブースだった」稲川淳二(76)怪談話は突然に
ひょんなことからラジオのパーソナリティ、しかも『オールナイトニッポン』に大抜擢された27歳の稲川淳二さん。いまや夏の風物詩ともなった、「怪談家の人生」はそこから始まります。(全4回中の2回) 【写真】「想像を超えたイケメン」20代当時の稲川淳二さん(写真中央)ほか(全17枚)
■スタジオに呼ばれて2時間の生放送 ── 稲川さんは、ラジオ『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めていました。長寿番組に出演したきっかけは? 稲川さん:友人の結婚式の司会をやったら、すごく盛り上がったことがあったんです。終わったら、出席者のひとりから「連絡先教えてください」と言われて。教えたら、2日後くらいに電話がかかってきました。「今日の夜、時間ありますか?」と言うので、その夜は予定もないので行ってみたんです。行ってみると、その方はザ・ドリフターズの脚本などを手掛けていた売れっ子作家・かとうまなぶさんでした。
それからニッポン放送に一緒に行きました。そのまま、プロデューサーに会って、「どれくらい話せますか」と聞かれて、「4時間くらいは」「そんなにいりません」とやりとりして、2時間ラジオの本番へ。準備してないし、読むハガキもなかったんですが、いつも聞いていた憧れの番組ですから、嬉しかったし、楽しかったですね。 ── 突然パーソナリティに!そのままレギュラーになったんですね。稲川さんが出演された『オールナイトニッポン』の二部は夜中3時からの放送ですが、怖い話もこの番組から?
稲川さん:放送は真夜中ですよ、当時のビルは暗くて怖かったですよ~。あのあたりのビルやニッポン放送の建物は、幽霊が出ると噂がありました。仲間うちで、そんなことをワイワイ話しているうちに、プロデューサーから「これから暑くなるし、高校生も受験勉強だけじゃつらいから、ラジオで怪談やらないか」と言われたんです。27歳くらいかな。 ── 怪談を語ったのは、そのときがはじめてですか? 稲川さん:私は小学生くらいから、友達に怪談をきかせるくらい怪談が大好きでした(笑)。ラジオの反響がすごいので、すすめられて本にまとめてみたら、これも売れました。私はリアクション芸の印象が強いようですが、一番初めは怖い話からなんです。