パワハラで名門ラグビー部をクビになった監督が省みる「私の大きな間違い」
私は、厳しい指導者というスタイルを貫いていた。「自分は憎まれても嫌われてもいい。10年後にわかってくれれば、それでいい」と、自分自身にいい聞かせながら、あえて厳しく部員たちに接していた。 選手たちにも「俺をとことん嫌っていい。反骨精神をもて」と話していた。 ● 「自分の正しさ」を 相手に押しつけていた だが、彼らが学校を卒業してOBになってからは、それまでの対応とはうって変わって、親しみを込めて接していたのだ。 それが当たり前だと思っていたから、私はそこから一歩を踏み出すことができなかった。それがいけなかったのだ。 実際、私もそうやって指導を受けてきたし、そういう指導のもとで成果を出していたから、これが「正しい」と思っていた。 だが今思えば、自分の指導スタイルを頑迷に貫き通していたから、私は流経大柏高校を花園優勝に導くことができなかったのだろう。 あの頃に戻って選手たちとフラットな関係をつくり、内発的動機付けによって主体性を引き出す理想的な指導をすれば、私は間違いなく日本一になれるはずだ。
ある意味で、それを阻んでいたものが、「自分の正しさ」だと私は思う。 人は誰しも、自分の価値観が正しく、自分が当たり前だと思っていることが当たり前だという信念をもっている。 私自身もそうだったが、教員はよく「それは当たり前だ」とか「それは常識だ」という言葉を口にする。でも客観的に考えれば、あなたにとっての当たり前は私の当たり前ではないし、あなたの常識は私の常識ではない。 これは、自らの反省を込めての話だが、教員という立場にある人でさえ、他人の当たり前や常識を受け入れることは難しい、ということなのだろう。 考えてみれば、日本という島国にはダイバーシティ、多様性はこれまで存在しなかった。だから、正しさも1つ、常識も1つ、当たり前も1つという時代がずっと続いていた。 だが、正しさも、常識も、当たり前も1つではなかった。 ● 異なる価値観を受け入れられる 「器」が私にはなかった あの頃の私は、その現実に気づかず、「自分の当たり前はみんなの当たり前」、「自分の正しさはみんなの正しさ」だという揺るぎない確信がなければ、とてもやっていけなかったのだ。