ペダル配置は「BAC」!? 約百年前のベントレー「オールド・マザー・ガン」で公道を走るための作法を徹底的にお教えします
奇妙な「BAC」ペダルレイアウトで易々とクルマを操縦
ラリースタートまでの間、クルマから降り、しばし他の参加者と歓談の時間となるが、じつはクルマの乗り降りにもコツがいる。基本ドアは左しかなく、ドライバーはまずは左席に座ってから身体を右にずらす。18インチの大きなハンドルが直接右から乗ることを拒むからである。涌井氏は右側から土足で運転席に乗り込むが、それでも一旦左シートに身体を寄せないと足をハンドルの下に位置することはできない。当然パワステのない時代である。大きなハンドルが必要だった当時の車両のコントロールの難しさをこんな所作からも感じる。 靖国神社を過ぎると九段下まで長い下りが続く。ブレーキは前後ともにドラムブレーキが装備されており、ブレーキペダルは現代車とは異なり一番右に位置する。いわゆる「BAC」レイアウトである。涌井氏に聞けば1921年に製造された「3 Litre」モデルも「BAC」レイアウトで製作されており、同年に製造された「6 1/2 Litre」は現代車と同じく「ABC」に配置されているという。1619台という大ヒットとなった3 Litreモデルの乗り換え需要を念頭に同じペダルレイアウトを継続したのではないかというのが我々の推測である。 ちょっとの距離でもこのクルマの運転をためらう理由はこの奇妙なペダルレイアウトにある。しかし、涌井氏はそんなことは微塵も感じさせず易易とクルマをコントロールする。その姿はまるでそれが当たり前だった1920年代からタイムスリップしてきた「ベントレーボーイズ」の姿のように感じた。
重いクラッチとハンドルでドライブするのはまさに大冒険
ベントレーは1924年と1927年に3 Litreというモデルでル・マンを制覇している。その後登場した4 1/2 Litreはさらに剛性を確保するために追加のフレームサポートバーが装備されている。サスペンションは当然リーフスプリングのみなので上下の振動の納まりが悪く、決して乗り心地は良いとは言えないが、実際のところそれほど不快ではない。それよりも助手席の前にあるオイル注入口が左足を邪魔し正しいポジションを座ることができないことが予想外だった。レースでは2人乗りは想定されていなかったので正しいポジションで座れないのは仕方がないが、逆にドライバーが走行しながら室内からオイルを注ぎ足すという考えに驚く。周回ごとに運転席の右側にあるラップカウンターをクリックし、エアーやオイルも継ぎ足さなくてはいけない…….なんと忙しいレースであっただろうか。 神田明神で交通安全のお祓いを受け、観光客の多い雷門と築地はとりわけ多く写真を撮られることになる。なかでも外国人には受けが良い。興味を持ってくれた人ひとりひとりにこのクルマの素晴らしさを解説したいところだが、先を急ぐこととする。 しばらくルートマップに沿って東京を巡り、赤羽橋から三田に下り、綱島三井倶楽部の坂道を登ったところで残りのコースはキャンセルしスタート地点に戻ることにした。理由はドライバーである涌井氏のクラッチを踏む力がなくなってしまったからだった。今回のコースはじつに微妙な勾配や信号によるストップ・アンド・ゴーが多く、半クラッチを多用したことによる疲労だった。かつて自動車評論家の小林彰太郎さんもこのクルマのクラッチの重さに辟易し運転を諦めたことがあったと聞く。 クラッチだけではない。パワステのないハンドルはつねに両手と全身を使って回し、倍力装置の付いていないブレーキもかなり体力を消耗させるものだろう。数日前に涌井氏の運転するマニュアル車でコースの試走をしたが、全コースまったくもって普通にドライブすることができた。そんな様子を見るとこの100年のクルマの進歩は目覚ましいものがあると改めて感じる。そして24時間このクルマを振り回していたバーナートとルービンのタフさに驚く。モータースポーツという言葉よりは命をかけた大冒険と言ったほうがふさわしいのかもしない。
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