80年代末に異彩を放ったバンド・千年コメッツの謎、高鍋千年とハリー吉田が語る再結成
メロディーの強さということは絶対に信じていた
―先ほど沢田研二さんのイメージもあったとおっしゃいましたが、それがゆえにファースト・アルバム『Timeless Garden』は沢田さんのバックバンド「エキゾティクス」のキーボーディスト・西平彰さんがプロデュースしているんですか。 ハリー:正直、それはありました。西平さんは、同じ時期に岡村靖幸のデビューアルバムをやってたりとか、結構旬なアーティストを手掛けていて、沢田研二さんでやっていたようなサウンドよりもポップでファンキーなサウンドを得意としていたんですけど、敢えてプログレッシブな音楽をやってほしいというお願いをしました。結果、西平さん本来の味が出て良かったし、千年コメッツのファーストアルバム『Timeless Garden』は、西平さんの良さが発揮された作品になったなというのは、今振り返ってみても思います。西平さんにはその後、僕がL’Arc~en~Cielにかかわったときも、同じ方向性のストリングスサウンドで「Lies and Truth」ほか、数々の作品で 千年COMETSで試みたアプローチを開花させています。。 ―高鍋さんは、そうしたハリーさんのディレクションをどのように捉えていましたか。 高鍋:それがすべてではないにしろ、すごく僕が好きな世界ではありましたね。退廃的な世界観もすごく好きでしたし、MVなんかちょっとぶっ飛んだところもあったんだけど(笑)、僕が見ても驚くようなもの、感動するようなものを作りたいとずっと思っていましたから。だから、曲にしろ映像にしろ周りからは「よくわからない」って言われました。MVはモノクロでああいう感じだし、ライブではロックバンドみたいにやるし、ファンからも「なんかよくわかんないよね」って言われたんだけど、そのよくわからないところが、それはそれでカラーになったのかなと思っています。自分はデヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーのグラム的な世界への憧れもあったんですけど、じゃあ化粧してギラギラな衣装を着てキラキラなロックをやるのかっていうと、それは僕のやることではないと思っていたんです。それよりも、デヴィッド・ボウイはどんな本を読んでいたんだろうとか、どんな映画が好きなんだろうとか、リンゼイ・ケンプ(舞踏家)が好きだったり、ジャン・ジュネ(作家/「The Jean Genie」は彼の名をもじっている)をよく読んでいて三島由紀夫も好きだったりとか、そういうエッセンスを、僕は何とか自分の体を通してやれればと思っていたので、全く真似する気もなかったんです。そういう意味で言うと、何か新しいものにはなったよなって思います。 ―日本のロックはほとんど聴いていなかったそうですが、デビューするにあたって邦楽を聴いて取り入れるようなこともありましたか? 高鍋:中学生の頃、歌謡曲はよく聴いていたんですよ。ジュリー(沢田研二)は大好きだったし、井上堯之さんとか、歌謡ロックみたいな音楽には興味がありました。デビューすることが決まって改めて聴いたかといったら、そんなには聴いてないと思いますけど(笑)。日本の音楽を意識したというよりは、自分の好きな音楽を必然的に聴いていたのが正直なところです。 ―なるほど、歌謡曲のテイストは、千年コメッツの曲に感じる特徴の1つだと思うんですけども、ハリーさんそこはいかがですか。 ハリー:当時、米米CLUBとかTM NETWORKがデビューして、歌謡曲とロックの融合の明るい部分が多かったんですよ。千年コメッツの曲には、歌謡曲の暗い部分があったと思います。曲は高鍋が書いていたんですけど、メロディーが深くて且つシンプルで、構造が非常に単純なんですよ。だけど心に残るメロディを書いていたので、ある意味歌謡曲的なメロディなんですけど、それがアレンジでシゲさんのベースラインとかと混ざり合うことによって、怪しい光で帯びていたんです。そういう意味では、メロディは歌謡曲でサウンドはロックでした。歌詞は高鍋も書いていたんですけど、歌詞で彼の新しいキャラクターをつけたかったので、作詞家にこだわって、松本一起さんという中森明菜さんや沢田研二さんとかの歌詞を書いていらっしゃる素晴らしい作家さんとか、プロの作詞家の主戦場だった歌謡曲畑の方を起用していました。そうすることで、良い意味でわかりやすさは曲にもたらしたつもりでしたし、綺麗なメロディにも合っていたと思います。 ―シングルも「Lonely Dance」、「Access in Access」、「DILEMMA」、「流星一夜」とリリースされていますけど、今聴いてもすごく良いメロディの曲ですし、手応えもあったんじゃないですか? ハリー:ある一定の評価は得られていたんです。所属事務所のユイ音楽工房が、同じ事務所のBOΦWY以上に力を入れてやってくれていたし、業界の支持はあったので失敗ではなかったんですけど、人間を伝える作業、たとえばバンドのインタビューをちゃんとやっていなかったんですよ。当時はアーティストの中身の声を聞きたいというのが、ロックバンドでは当たり前のことだったんですけど、それを敢えてしないで、雑誌なんかでも 架空の物語にしたりとか、海外を舞台にした小説にしたりとか、高鍋千年という男がどんな人物なのか、実像が見えなかったんですよね。曲はテレビで流れていたんですけども、誰が歌っているのかっていうことは見えないままだったという反省はありました。 高鍋:もちろん欲もあったし、「もっと評価されてもいいのにな」って思っていましたけど、その頃は若かったし、とにかく目の前の事をこなしていくのに精いっぱいというか。自分をコントロールできていなかったところがやっぱり若さだったんだろうと思うんですけど、そこら辺でできたこと、できなかったことが随分ありました。とにかく、あんまり楽しんでやった記憶がそんなにないんですよ。 ―それは活動期間中、通してそうだったんですか? 高鍋:ずっとそうでしたね。常に何かに追われてやってるというか、いついつにライブがあるからそれに向けてとか、レコーディングがあるからそれに向けて曲を書かないといけないっていうことに忙殺されていて。それはそのときなりのモチベーションがあったので、否定するわけではないんですけど、余裕がなかったというか、冷静に自分を見ることがあまりできなかったかもしれないですね。ただ作品としては、さっきおっしゃっていただいた通り、僕はメロディーの強さということは絶対に信じていたんです。映画音楽の美しいメロディーや、ロックバンドでも、デヴィッド・ボウイやブライアン・フェリーでも、ちゃんと綺麗な歌のメロディーがあるから、すごく好きだったところもあるので、みんなが綺麗で美しいと思うメロディーを書きたいということだけは、常に頭にあったと思います。