加藤ローサがフランスで露骨な差別を体験「結構なカルチャー・ショックでした」車に貼られた侮辱的なメモ
今日ではけっして珍しくないハーフタレントの草分け的存在の加藤ローサさん。2004年に結婚情報誌『ゼクシィ』の2代目ゼクシィガールに選出されブレイク。「理想の花嫁」(と言っても、当時はまだ18歳の高校3年生)として一躍注目され、その後は多くのドラマや映画にも引っ張りだことなった。そんな彼女も今はアラフォー世代の2児の母。そんな加藤さんにとっての人生のCHANGEは?【第2回/全4回】 【画像】フランスで露骨な差別を体験した加藤ローサ、お互いに10年以上ぶりの連ドラ主演という星野真里とのオフショット! 『ゼクシィ』のCMが決まった翌年の2005年に映画『東京タワー』で俳優の仕事をスタートさせた。 「それ以前はお芝居といったら、バラエティのコントぐらいしか経験がなかったので、本格的にはこれがはじめてでしたね。なので、もう何が何だかわからなかったです」 当時は二十歳。その誕生日に母から一通のメールが届いた。 「メールの件名に『人生、失敗三大要素』ってあって。一つ目はギャンブルと酒。そういうのに依存するなということですよね。二つ目が異性、三つ目に借金の連帯保証人。誕生日だったら、普通は“おめでとう”とかなんでしょうけど、私の母はこんなのを送ってきたんですよ(笑)」 2007年にはドラマ『女帝』(テレビ朝日系)で連ドラ初主演を務めた。一人の女性がホステスとなって「銀座の女帝」とまで呼ばれるようになるまでを描いた作品だ。そして、2011年に自身の26歳の誕生日である6月22日に結婚。お相手は、プロサッカー選手の松井大輔さん。松井さんが当時所属していたのがフランスのチーム「グルノーブル・フット38」だったため、その年の10月にフランスへ。その後はブルガリア、ポーランドと渡り、2013年の年末に帰国。海外での生活で多くのことを体験した。 「最初に行ったのはフランスの田舎町だったんですが、そこで人種差別を受けました」
“黄色い猿は森に帰れ”
「フランスって自動車はほとんどパーキングが無いから基本は路上駐車なんです。で、路駐していたら“黄色い猿は森に帰れ”みたいなことが書いてあるメモを自動車に貼られていたことがありました。 また別の時はテラスが素敵なカフェがあったので入ったら、窓も何もない奥の部屋に通されたことがあって…。部屋に入ってみるとアジア人や中東のアラブ系の人しかいないんです。一応、最初に“外が良いです”って言えば、テラスに通されるんですけどね。 実際にこんな体験を受けるまでは、自分の中では人種差別ってアメリカのイメージが強かったんですけど、私たちも外国に行ったら差別の対象になるんだということを思い知らされて。結構なカルチャー・ショックでしたね」 結婚したタイミングで仕事からは一度離れた。それが第2の人生だった。 「その第2の人生っていうのは、毎日が学びでしたね。フランスに行った時にいま話した人種差別に遭ったのもそうですけど、そこで、日本人のコミュニティに入れてもらったんですよ。そこでは芸能人の加藤ローサではなく、ひとりの人として様々な人と関われたんです。それまでは、やっぱり整った環境で、整った場所で仕事をして、(友達は少なかったけど)仕事の合間に友達とご飯を食べに行ったりしてたんですけど、そういうことが全部無くなってしまって。子育てと主人のケアだけになってしまったので、本当にただの普通の人として色んな人に触れ合えたというのはすごく大きかったですね」