全国ランキング13位の「佐々木」さん。巨大な佐々木一族として発展した経緯は?【名字365】
佐々木(ささき)
「佐々木」は10月9日に紹介した「渡辺」と同じく、一つの地名をルーツとして全国ランキング13位というメジャーとなった珍しい名字です。そのルーツの場所は近江国蒲生郡佐々木荘という地名です。ただし現在では地名としては残っておらず、滋賀県近江八幡市の一部となっています。 滋賀県東部のこの地方には、古代から沙沙貴(ささき)神社を氏神とする佐々木神主家という一族が根づいていました。 平安時代、宇多天皇の孫にあたる雅信は、皇族を離れて「源」姓を賜り、子孫は宇多源氏となりました。雅信の長男の子孫は朝廷で公家となりましたが、二男の子孫は近江国佐々木に住んで武家となり、地名をとって佐々木氏を名乗ったのです。そのため、近江佐々木の地には2つの流れの佐々木氏が繁栄しました。 平安末期、佐々木神主家は平家に属してその勢力を伸ばす一方、宇多源氏の佐々木氏は源氏に属していたために没落します。そこで、宇多源氏佐々木氏の秀義は、一族の再興をめざして自らの子ども達を伊豆に流されている源頼朝のもとに送ったのです。これは一発逆転を狙った秀義の賭けでした。 流人だった頼朝はその後蜂起、やがて平家を倒して鎌倉幕府を樹立します。すると、流人時代から従っていた佐々木兄弟は鎌倉政権下で要職につき、佐々木氏は一躍名門となりました。そして、佐々木神主家をその配下としたのです。 そもそも同じ地に住むこの2つの佐々木氏は血縁関係を結んでおり、次第に両家は渾然一体となって巨大な佐々木一族として発展しました。 佐々木氏の末裔と名乗る氏族は全国にひろがっており、山陰の戦国大名尼子氏や、江戸時代の丸亀藩主京極家、福知山藩主朽木家は武家佐々木氏、備中成羽藩主の山崎家は佐々木神主家の出です。 現在は42都道府県で100位以内に入っており、岩手県で第2位、岩手県と秋田県で3位になっているなど東北地方にとても多い名字となっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家 1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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