【オートレース】メガネの超大物新人・浅倉樹良「どこを走っても強いのはかっこいい。それを目指しています」
今やオートレースの顔である鈴木圭一郎、青山周平の2トップ。この鈴木にしてもできなかった青山の記録を打ち破った新人がいる。それが浅倉樹良(じゅらん、25=伊勢崎、37期)だ。オートレース史上デビュー最速優勝、初戦から13連勝――。これまで誰もが成し得なかったことを次々と達成した。メガネをかけた異色な風貌の超大物新人は、さらに歴史を塗り替えるか。激動の2024年と、未来輝く25年について熱く語る。 2024年1月25日、伊勢崎でのデビュー戦で初勝利を挙げ快進撃が始まった。その節の4日間開催、2節目の3日間開催と全勝。新人選手は3節目から優出権利が与えられ、その3節目で3連勝の完全V。4節目も3連勝のパーフェクト優勝。デビュー22日目での優勝と13連勝は地元の大先輩・青山周平を抜く新記録となった。 「(最短優勝は)奇跡です。実感もあまりなかったし、記録を意識していたらできなかったと思います。それにハンデ位置も優しかった。連勝は10連勝を超えてから青山さんの記録は少し意識しましたが、自分の走りをすればと思いました。ただ青山さんは優勝戦のFで記録は12連勝になったけど、実際は14連勝しているし、相当すごい。記録だけいえば肩を並べられたので、そこだけでもうれしい」 先輩に敬意を表すが、鮮烈な登場だったことは間違いない。「名前を売れたかな。話題づくりになれたのが一番うれしい。オートレースに振り向いてくれる人が増えてくれたら、という思いがあるので、いいことできたなという感じ」。オートレース業界のことも考え新人選手らしからぬ意識の高さがある。取材でも笑顔を絶やさず「新人なんであまり言えないけど、明るくボートレースのような雰囲気の方が楽しいと思います。お客さんがいないと成り立たない業界です」。 インパクトは見た目にもある。常にメガネを愛用、レーサーとしては異色だ。36期選手候補生の募集から応募資格が一部変更、視力で裸眼0・6以上だったのが矯正視力1・0以上という条項が追加され、門戸が開いた。 「資格が緩和されたのを知って受けました。養成所は楽しかった。それまでロードのレースに出ていましたが、サーキットに行くというところからガソリン代、タイヤ代、バイクのパーツ代と大変でした。養成所はタダ(笑い)。朝から乗りっ放しでいい。なんて幸せなんだと。みんな何が苦しかったのかが分からない。ほぼ天国でした」 つらさ、苦しさを感じないというのも珍しい。 ここまで、いいことずくめ。順風満帆と思われたが、14走目から試練が始まる。デビュー5節目、初めて1番車ではなく4番車。前に他の選手がいる位置からのレースとなり結果は5着。「ハンデを背負い厳しさを知りました。試走で前に何台かいた状況を見て『自分の走りたいところを一切走れないんだ』と思いました。レースも落合(淳)さんにメチャクチャやられた記憶があります」。洗礼を受けながら必死に走るが、S級選手の20メートル前というハンデ位置に重化した4月下旬以降、勝てない日々が続く。 そんな中で8月、初のSG・オートレースグランプリを迎えた。「一番調子が良くなかった。エンジン的にも。スタートも全く出て行かない。見つめ直すきっかけになった大会です」。絶不調が逆に転機となり、エンジン調整を本格的に取り組む。「師匠(竹本修)と兄貴分の松本康選手が『キャブ調整だけじゃ出てこない味が出るから』と言われ、ヘッド周りの調整もやり始めました」。一日中没頭するくらい、のめり込んだこともあった。今では先輩選手が整備の相談に来ることもある。その成果もあり、成績も上向いてきた。 「2か月くらい1着がなく落ち込み悔しかったけど、手は動かした。いい経験でした」 調整だけでなく、走法も突き詰める。現在は1級車と比べ100cc排気量が小さい2級車に乗る。パワーのない車のため、スピードを落とさず大きいコースを回るのが2級車の一般的な走法。だが、浅倉は1級車を内から抜き去る走りを時折披露する。 24年11月の浜松G1・スピード王決定戦初日も、最終周で差して3着に入った。「抜く意識はないんです。その選手の横に並ぼうという感覚で車をつけにいく感じです。外で合わされて突っ張られるのが大嫌いで。500ccなら最内を走った方が一番速いと思うし勝つため、前に行くための1つのやり方です。前の人は抜かされたくないと張ってくる、それなら内から抜いた方が速いと思い、行くようになりました」。経験を踏まえた持論に基づき実践している。 飛躍が期待される25年も2級車での戦いだ。「ハンデ位置が10メートル前になるのが目標。ホントは2級でS級が良かったんですけど。でも、そのぐらいにはなりたい。強い人はどの場に行っても速い。どこを走っても強いのはかっこいい。それを目指しています」と野望を掲げる。理想のレーサー像へ近づき打倒2強へ――。さらに進化する。 【お手本はレース巧者・中村雅人】お手本となる選手を尋ねると「中村雅人さん」と即答した。「養成所でタブレットが使えたんですけど、ずっと雅人さんの動画を見ていました。内外自由にさばいてカッコいい」。レース巧者の映像を何度も見て抜き方、攻め方を研究した。見るだけでは物足りなかったようで「雅人さんのような選手になりたいと思って、実際にやって怒られました。養成所でもやってメッチャ怒られました」と笑う。すぐに実践するのも浅倉の良さ。さばき巧者への道は始まっている。 【師匠は「新人離れしている」と感嘆】浅倉の活躍を指導員・竹本修(50=伊勢崎・25期)は「養成所で最優秀に選ばれているし期待はしていたが、正直ここまでやるとは。想像以上です。レースで車を操る技術力がすごい。自信を持って乗っている。新人離れしている」と感嘆する。現在はハンデ位置も最重ハンデの20メートル前で苦戦中だが「最近、スタートも良くなってきて、車券に絡めるようになってきた」と成長を感じ取る。今後は「もう10メートル下がり、そこで勝てるようになってほしい。でも、S級選手にスタートでやられちゃうかな」と難条件を克服する活躍を願っている。 ☆あさくら・じゅらん 1999年6月4日生まれ、東京都出身。幼少のころからポケバイ、ロードとバイクレースの活動を行う。2024年1月9日、37期として選手登録、同月25日に伊勢崎でデビュー。優勝は2回。同期は菅原すずの、森下輝、北市唯、田中崇太、福岡鷹ら。身長157センチ、血液型=O。
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