海運王から鉄道王へ ウォール街で鉄道株買い占め ヴァンダービルト(上)
海運王から陸運王へ すでに70歳のころあいにしてウォール街の猛者たちと対決
しかし、これからは鉄道輸送が主力になってくるとみるや、持ち船をそっくり売り放ちその売却代金を引っさげてウォール街へと乗り込む。鉄道株を買い占めるためだ。前出の『米国実業王苦心譚』による。 「ヴァンダービルトが鉄道株への思惑相場をやり始めたのは、すでに70歳のころあいである。しかし、元気いささかも衰えず、その15年間において富を増やすこと、まさに4倍であった。ハーレム鉄道、ハドソン川鉄道、ニューヨーク中央鉄道、みな彼の手中に落ち、彼の奇才によりて、いずれも著しき繁栄を極めた」 海運王の地位を投げ捨てて鉄道王を目指すヴァンダービルト。だが、彼は陸に上がったカッパではなかった。よわい70歳にしてウォール街の猛者たちと対決することになるのだ。 また唐島基智三は訳著『アメリカ大財閥の暴露』の中でこう記している。 「彼と一戦交えんとする者は彼の激しい攻撃にあってはほとんどなすところがなかった。彼のやり方はいつも直接的で、時に残忍ともみえるほどだが、必ず成功した。彼が外国旅行中、彼が多大の投資をしていたアセッソリー・トランジット・カンパニーの株を細工しようとした者があったが、1年後には見事にやっつけられた」 当時のウォール街でいちばんの大立物はダニエル・ドルー(1797-1874)で、ヴァンダービルトより3歳年上で、「飛将軍」と呼ばれていた。ドルーは若い投機家連中を「子供たち」と鼻であしらっていた。子供たちの裏をかくのが大好きだった。ウォール街の帝王を自他ともに認めるドルーにとって年老いてからのヴァンダービルトの出現は「おいぼれ成り金め。いいカモがネギをしょってやってきたわい」くらいにしか映らなかった。 ところが、どっこい。ヴァンダービルトは年令を感じさせない精力的な相場を張り、ドルーをしばしば土俵際まで追い詰め、最終的にはドルーをウォール街から追放させるのである。 1862年、ヴァンダービルトが初めて若干のハーレム鉄道株を買うことを決めた。その20年ほど前、友人たちからハーレム鉄道に投資をしないのかと勧められた時、「おれは汽船屋だ」といってむげなく断ったことがある。 「君たちが勧めるのは乾燥した土地を走るもののことだろうが、ぼくはそんなものには絶対手を出さんぞ」と胸を張っていたらヴァンダービルトが、20年の時を経てとうとう株式市場にその第一歩を踏み出したのである。 【連載】投資家の美学<市場経済研究所・代表取締役 鍋島高明(なべしま・たかはる)> ■ヴァンダービルト(1794-1877)の横顔 コーネリアス・ヴァンダービルトはニューヨーク州ステートン・アイランドに生まれ、家計を助けるため6歳ころから働きに出た。腕っ節を要する仕事はなんでもやった。生まれながら節約家で、金を蓄えると、小さな舟をこしらえ、ニューヨークとステートン・アイランドの間を往来して金を稼いだ。そのうちニューヨークは近郊の6つの台場(砲台)に兵糧を運搬する仕事を請け負い、飛躍の糸口をつかむ。持ち船も増え続け、66隻を数えるようになると、「船長」の愛称は「提督」の尊称に変わる。後年、ウォール街で仕手として存在感を発揮するようになっても「提督」と呼ばれた。若き海運業時代の栄光のおかげである。1848年、カリフォルニアで金鉱が発見され、ゴールドラッシュで人々が西へ西へと大移動を始めると、旅客輸送にも手を染め、米国有数の富豪へと闊歩し始める。